間テクスト性とポスト構造主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 08:04 UTC 版)
「間テクスト性」の記事における「間テクスト性とポスト構造主義」の解説
クリステヴァの作った「間テクスト性」の意味するところは、ソシュールの構造主義的記号論(記号がテクスト構造の中でどんな意味をもたらすかという研究)とバフチンの対話主義(各テクスト(特に小説)や語における、多義或いは「ヘテログロシア」の検討)とを統合する試みである。 クリステヴァによれば、もしも作家から読者へ直接意味が伝わるのではなく、代わりに他のテクストによって伝えられる「コード」が介在したりフィルターがかかったりするのであれば、間テクスト性の概念は間主体性の概念に取って代わるという。 例えば、我々がジェイムズ・ジョイスの『ユリシーズ』を読むとき、我々は近代人の文学的実験として、或いは壮大な伝統への反応として、或いは他の談話の一部として、或いはこれら全ての談話の一部分として、これらを同時に解読する。 この間テクスト的な文学の見方は、ロラン・バルトが指摘したように、芸術作品の意味は作品にあるのではなく、鑑賞者にあるのだという観点を補強するものである。 最近のポスト構造主義者の理論、例えばダニエラ・カセッリの『ベケットのダンテ』では、間テクスト性を異なるテクストの間の一連の関係というより、テクスト内で生み出されるものとして再検討されている。またポストモダン理論家には間テクスト性とハイパーテクスト性との関係について論じたがる者もいる。 即ち、間テクスト性によってテクストそれぞれは「引用のモザイク」(クリステヴァ)やより大きなモザイクの一部になっており、ちょうどハイパーテクストそれぞれがリンクのウェブページやWWW全体の一部になっているのと同様であるという。
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