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長野隆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/23 05:59 UTC 版)

長野 隆(ながの たかし、1951年10月14日 - 2000年8月31日)は、日本小説家批評評論家文学者福岡県出身。萩原朔太郎・中原中也・太宰治らの近現代文学を主題に活動。

長野 隆
誕生 1951年10月14日
日本福岡県京都郡
死没 (2000-08-31) 2000年8月31日(48歳没)
日本
職業 小説家
評論家
最終学歴 関西学院大学
活動期間 1974年 - 2000年
主題 萩原朔太郎中原中也太宰治らの昭和文学
文学活動 山田兼士らと研究同人誌「詩論」を創刊
吉本隆明菅谷規矩雄らの「原理的批評」を標榜
代表作 『抒情の方法』(思潮社、1999年)
『太宰治-その終戦を挟む思想の転位』(双文社出版、1999年)
『萩原朔太郎の世界』(砂子屋書房、1987年)
『中原中也魂とリズム』(有精堂出版、1992年)
デビュー作 『抒情の方法』
パートナー 尾崎和子
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来歴・人物

1951年福岡県京都郡に生まれる。 福岡県立京都高等学校を卒業(喘息で、3年の時1年間休学。)1971年に関西学院大学に入学。文芸部に所属。部詩「関学文芸」に参加する傍ら「関西文学」の会員になる。1976年同大学大学院 文学研究科博士前期課程に入学。1978年 同大学院博士後期課程に進学。研究領野を中世歌論(藤原定家)へ移行。 1983年弘前大学教育学部、国文学講師に就く。同大学近代文学研究会を設立。1986年同大学助教授、1993年同大学教授。1988年交換教授としてテネシー大学客員教授。1998年~1999年国際交流基金派遣教授としてカイロ大学院客員教授。弘前大学教授として就任中、48歳で急逝した。

弘前大学時代

会誌「弘前大学近代文学研究誌」を創刊。以後、毎年、講演会や合宿を重ね、学生の学問的視野を広げ、熱心に指導した。

文学活動

書籍

  • 『抒情の方法』
  • 『太宰治-その終戦を挟む思想の転位』(編著)(双文社出版、1999年)
  • 『萩原朔太郎の世界』(編著)(砂子屋書房、1987年)[2]
  • 『中原中也魂とリズム』(編著)(有精堂出版, 1992年)[3]

追悼集

逝去後、山田兼士代表「長野隆著作編集委員会」が結成され、2002年8月、『長野隆著作集』(全3巻)が刊行。

脚注

出典



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