関西フォークの時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/05/06 08:01 UTC 版)
「藤村直樹 (シンガーソングライター)」の記事における「関西フォークの時代」の解説
1960年代後半の関西フォークの黎明期から、高石ともやを師とし、和歌山県立医科大学入学後、「フォークキャンプ」に参加。「フォークキャンプ」から生まれた音楽ユニット「フォークキャンパーズ」(中川五郎、長野隆、勝木徹芳、村田真、桝井耕一郎、金延幸子、西岡恭蔵ら)のリーダー的存在だった。小松民雄、勝木徹芳、村田真が参加した「なれあいシンガーズ」の一員として音源を残している。 第4回関西フォークキャンプ打ち上げコンサート(1969年8月17日、京都市の円山公園野外音楽堂)で歌った「町工場のブルース」でソロシンガーとして注目を浴びるが、単独でのレコードデビューはなく、1971年、医学に専念するため和歌山に戻る。しかし、フォークへの意欲は衰えず、「和歌山フォーク村」を結成。ラジオ、テレビに出演。1973年、中島光一、ひがしのひとしとのライブ盤のLP「十年目のごあいさつ 1973」を自主制作。その後、医学の研究や仕事が多忙な関係から長らく音楽活動から疎遠になる。
※この「関西フォークの時代」の解説は、「藤村直樹 (シンガーソングライター)」の解説の一部です。
「関西フォークの時代」を含む「藤村直樹 (シンガーソングライター)」の記事については、「藤村直樹 (シンガーソングライター)」の概要を参照ください。
- 関西フォークの時代のページへのリンク