鎌倉・足利長尾氏とは? わかりやすく解説

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鎌倉・足利長尾氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 07:03 UTC 版)

長尾氏」の記事における「鎌倉・足利長尾氏」の解説

景忠の一族養子の景直を祖とする家。景直から嫡男景英の系統長尾氏宗家として重んじられた。景直の子である景英・満景が鎌倉居住していたことから鎌倉長尾家称され、景英流と満景流を区別する際には、後者を特に長尾家とも称した。満景は山内上杉家家宰となり、断絶した兄・景英流の後継実子長尾実景据えて両家統合することで勢力をもった。しかし、満景は上杉禅秀の乱戦死し家宰職は総社長尾家に移る。その後長尾実景家宰職を得るが享徳の乱により主君上杉憲忠と共に命を落とし家宰職は、今度白井長尾家移った実景の子長尾景人上杉房顕仕え戦功多く足利将軍家由緒の地」・下野国足利荘栃木県足利市)を与えられ勧農城主として関東管領敵対する古河公方対す抑えをなした。景人の子長尾景長幼少であったため、長尾家継いでいた景人の弟・長尾房清後見していたが、長尾景春の乱山内上杉氏反抗し続いて白井長尾家から後を継いだ長尾景父子長尾景春景明の甥にあたる)に味方して没落した成人した景長は永正の乱において上杉憲房仕え上杉顕実・長尾顕方攻め家宰職を得る。以降足利長尾家上杉憲政関東退去まで、家宰職を独占した。 景長の孫・長尾当長は、同族である長尾景虎越山に参陣し要地館林城与えられたが、上野長野氏武田信玄滅ぼされる後北条氏降り越相同盟成立由良成繁と共に大い貢献した長尾当長婿養子長尾顕長は、沼尻の合戦前に兄の由良国繁と共に北条方から離反するが、北条氏直敗れ小田原合戦後北条氏運命をともにした。

※この「鎌倉・足利長尾氏」の解説は、「長尾氏」の解説の一部です。
「鎌倉・足利長尾氏」を含む「長尾氏」の記事については、「長尾氏」の概要を参照ください。

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