鍵屋と玉屋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 21:27 UTC 版)
打ち上げは最初期は鍵屋が担当した。歴史は鍵屋のほうが古く、江戸での創業は1659年。7代目鍵屋の番頭(玉屋清吉、のちの玉屋市兵衛)が暖簾分けで、1808年に玉屋を創業し、2業者体制となり、双方が腕を競いあっていた。 鍵屋と玉屋は異なる打ち揚げ場所から交互に花火を揚げたため、観客は双方の花火が上がったところで、良いと感じた業者の名を呼んだ。これが、花火見物でおなじみの「たまやー」「かぎやー」の掛け声の由来といわれる。当時評判がよかったのは玉屋のほうで、「玉やだと又またぬかすわと鍵や云ひ」と川柳にあるように、玉屋の掛け声ばかりで鍵屋の名を呼ぶものがいない、といわれた時代もある。ただし、玉屋は幕末期(1843年)に失火事故を起こし、半丁ほどの町並みを焼失させた罪で、江戸処払い(追放)を命じられ、1代限りで断絶した。ただし、その後も江戸のすぐ近くで細々と営業していたという説もある。一方の鍵屋は、日本最古の花火会社「株式会社宗家花火鍵屋」として現存している。因みに、それまで難しい技術とされていた、同心円状に飛散する花火を明治期に及させたのが鍵屋である。
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