金奥萬事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 03:45 UTC 版)
「朝鮮南部連続少女誘拐事件」の記事における「金奥萬事件」の解説
1939年3月28日朝日新聞南鮮版は、京城府老姑山町の金奥萬ら一家5人を検挙されたと報道。金奥萬一家は1935年頃より朝鮮半島全土で各地の農村から「養女にする」と称して満州方面に女性を人身売買していた。被害者は100人にのぼった。1939年3月30日朝日新聞南鮮版では「被害者の大部分は今回に限らず大多数が南鮮地方の娘で主として養女に貰い受け津と甘言を弄し委任状を偽造し、中には無料で連れ出すなどの手口によって無法な人身売買が行われている」として、警察当局は「対策を講ずることとなった」と報じた。翌日の1939年3月31日朝日新聞南鮮版では、警察当局は悪徳業者の取り締まりを厳格化し、「いかがわしいもの(業者)に対しては営業停止の厳罰をもって臨むこととなった」と報じたうえで、警察署長の「人事に関する商売なので暗々裡に事が運ばれる場合が多く、従って犯罪も多いのだが、常に個人の一身上の問題なので、われわれとしても手を着けがたい場合が多い。一万円国防献金するから営業を許可してくれというのが飛び出したが、これから見てもいかにぼろい商売かということがわかる。この際だから善いのも悪いのも徹底的に洗って見るわけだ」という言葉を紹介しており、当時の人身売買・売春斡旋業者の取締がいかに難しいかを語っている。
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