量産黎明期
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 15:56 UTC 版)
ステンレス鋼製造には、まず原料の溶解が必要となる。初期のステンレス鋼溶解では、主にアーク炉が利用された。ステンレス鋼製造には、主成分であるクロムを溶鋼に添加することと、一定以下までの溶鋼中の炭素量を低下させることが必要である。前述のように、1895年にテルミット法の発明によって低炭素のフェロクロムが工業的に生産可能となり、これがステンレス鋼の製造の道を開いたが、テルミット法はコストが高いという欠点があった。これに対して、1907年、米国のナイアガラ研究所に勤めていたフレデリック・ベケットが珪素を用いたクロム鉄鉱石還元法を発明した。ベケットの珪素還元法は、テルミット法よりも格段に低コストで低炭素フェロクロムを製造できた。また、ベケットの珪素還元法の反応過程では発熱量がテルミット法ほど高くないため外部からの入熱が必要だったが、ちょうどこのころにエルー式アーク炉が実用化され、珪素還元法の実用化に好都合であった。当時の米国のステンレス鋼産業の振興も、ベケットの珪素還元法による低炭素フェロクロムがもたらしたともいわれる。 アーク炉の他には、高周波誘導炉によるステンレス鋼製造も行われていた。高周波誘導炉による方法には原理的に低炭素ステンレス鋼を作りやすいという利点はあったが、コストが高くつき、また生産能力も低いという欠点があった。増加する需要に応えるために、低炭素ステンレス鋼についても高周波誘導炉よりもアーク炉が主流となっていった。1934年時点で、米国のステンレス鋼製造はほぼすべてエルー式アーク炉でまかなわれていた。当時の主な製造方法では、まずクロムを含まない溶鋼を作り、そこに低炭素のフェロクロムを投入してステンレス鋼を製造していた。ただし、充分な精錬工程が行われなかった当時のステンレス鋼は、鋼の中にガラスや介在物が多く残り、材質のよいものではなかった。高価な低炭素フェロクロムの費用は問題とされ、低炭素フェロクロム製造を必要としないステンレス鋼製造方法が模索されていた。また、当時の製造方法ではステンレス鋼スクラップを原料としてほとんど利用できない欠点があった。
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