野田トレーニングセンター
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 10:10 UTC 版)
「浦和競馬場」の記事における「野田トレーニングセンター」の解説
調教などを行う厩舎は1969年まで浦和競馬場とその周辺にあったが、周辺が宅地化し、臭気などの苦情から1974年に浦和市上野田(現:緑区上野田)の野田トレーニングセンター(北緯35度54分41.9秒 東経139度41分44.9秒 / 北緯35.911639度 東経139.695806度 / 35.911639; 139.695806 (野田トレーニングセンター))に集約移転された。 このトレーニングセンターは、1967年の埼玉国体(清新国体)の馬術競技のため「野田馬術競技場」として造成され、国民体育大会終了後は浦和競馬のトレーニングセンターとして使用することを想定して、2倍以上に敷地が拡張整備された。当初はその後に競馬場自体も騒音問題から厩舎と共に移転し、跡地に県営球場などの移転先とする構想もあったが、実現には至らなかった。なお、トレーニングセンターが先に移転し、後から競馬場自体も移転することになった事例には名古屋競馬場がある(厩舎は1977年、競馬場は2022年に移転)。競馬場周辺のかつての厩舎跡地は住宅地や競馬場の駐車場などに転用されている。競走馬は馬運車で浦和競馬場まで運ばれる。 コースは厩舎棟区画の北側にあり、1周1050メートル。土地形状の都合から極めてコーナーのきついコースで、コーナーでは馬を全力で走らせることが難しく、このことが浦和所属馬の強化の妨げになっていると言われる。また移転後の1980年、近隣に東北自動車道が開通し、渋滞発生が多発する浦和本線料金所からも近くなったことで、センター周辺の大気条件が設置当初と比較して悪化し、競走馬への影響を心配する声もある。
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