野口彌太郎とは? わかりやすく解説

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のぐち‐やたろう〔‐やタラウ〕【野口弥太郎】

読み方:のぐちやたろう

[1899〜1976]洋画家東京生まれ二科会経て独立美術協会会員芸術院会員川端画学校学んだのち、渡仏してサロンドートンヌ出品。「那智の滝」で芸術選奨他の作品に「セビラの行列」など。


野口弥太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/02 06:59 UTC 版)

1951年頃

野口 弥太郎(のぐち やたろう、野口 彌太郎、1899年10月1日 - 1976年3月23日)は、日本の洋画家日本芸術院会員。

来歴

東京本郷区生まれ[1]。その後朝鮮の仁川、東京、長崎県諫早市神戸と移り住む[1]。1920年、関西学院中学部卒後、川端画塾に学び、1922年、二科展で初入選。1926年、「一九三〇年協会」会員となる。1929年、フランスに渡り、サロン・ドートンヌに出品。1933年、帰国、独立美術協会会員となる。戦後、1949年から日本大学芸術学部教授。以後独立展に出品を続け、1962年、国際形象展同人。1964年、「セビラの行列」で毎日芸術賞受賞、1970年、日大を辞める。1972年、紺綬褒章受章。1973年、芸術選奨文部大臣賞受賞。1975年、勲三等瑞宝章受章、日本芸術院会員。父親は元第一銀行常務取締役の野口弥三[2]

画集

  • 野口弥太郎画集 美術工芸会 1942年
  • 野口弥太郎滞欧作 美術出版社 1963年
  • 野口弥太郎水彩素描画集 求竜堂 1975年
  • 野口弥太郎素描集 五月書房 1978年
  • 野口弥太郎画集 日動出版部 1983年

脚注

  1. ^ a b 野口弥太郎 東京文化財研究所 2023年12月27日」閲覧。
  2. ^ 野口彌三 (第8版) - 『人事興信録』データベース”. jahis.law.nagoya-u.ac.jp. 2021年1月26日閲覧。

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