重臣候補に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:54 UTC 版)
大正の間に元老は西園寺公望ただ一人となり、昭和になると彼の老齢化で後継首相に関する天皇の御下問範囲を拡張する必要性が論じられるようになった。そして1932年(昭和7年)特定の役職経験者を重臣として後継首相についての御下問を受ける存在となす重臣制度が設けられた。この重臣について当初貴族院議長や衆議院議長を対象に含む案があり、そのため家達が一時重臣候補となった。貴族院議長は憲法上の公職によって政界事情に精通していることが根拠に挙げられた。 しかし衆院議長は特定の政党との距離が近い存在であるため、客観的に政界状況を把握することが求められる重臣になるのは困難だった。貴族院議長は可能であっても、衆院とのバランスから貴族院議長だけを重臣にするというわけにもいかないので、結局両院議長を含める案は流れ、枢密院議長・内閣総理大臣経験者が重臣の範囲となった。
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