都市化及びミドラール朝時代とは? わかりやすく解説

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都市化及びミドラール朝時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/24 08:56 UTC 版)

シジルマサ」の記事における「都市化及びミドラール朝時代」の解説

当初紀元後500年ごろは、ベルベル人季節的に使用する物資集積所であったシジルマサ都市化する契機となったのは、いくつか説があるが有力なもののひとつは、8世紀半ばごろにイスラム世界中央政権たるアッバース朝バスラ反抗しようとして失敗したハワーリジュ派イスラム教信奉する人々であって、その指導者はイーサー・イブン=マズヤド・アスワド、すなわち「黒いイーサー」という父の代にイスラーム改宗した黒人であった。彼は指導失敗して処刑され、アブルカーシム・サムグ(Abu‘l-Qasim Samghu b. Wasul al-Miknasi)が新たに首長として立てられ以後200年間、シジルマサは、ハワーリジュ派イスラム教信奉するベルベル系王朝ミドラール朝(バヌー・ミドラール)の支配下にある都市国家として存続することになるというものである818年のラバドの乱(Rabad revolt)など内乱避けてアンダルスからの亡命者マグリブ逃れてきたが、シジルマサ商業的な可能性見出した人々住み着くようになったユダヤ人シジルマサ交易繁栄する伴って居住地拡大していった。ミドラール朝の最も偉大な君主は、アブルカーシム・サムグの子三代目のムンタスィル・イブン=ヤサアである。彼の治世のときに城壁が町周囲を巡るように築かれた。その後10年間にわたってシジルマサの町は大きく発展していくことになる。在位期間は、823/4年から876/7年の50年上の長きわたって続きその権威は、ダルアの町にまで及んだダルアは、銀鉱山の近く位置していてサハラ越え隊商にとって重要な集積所になるのであるシジルマサ位置は、前述のとおりの好立地であってスーダンの金の主要な交易路であったため、10世紀には、シジルマサ支配することは、西アフリカから西アジアイスラム世界への金の流通コントロールする意味があった。そのため、イフリーキヤ(現チュニジア)に建国したファーティマ朝コルドバ後ウマイヤ朝は、直接支配ベルベル人コミュニティ通じていずれか方法シジルマサ支配しよう暗闘した。この暗闘結果は、二つ王朝発行する金貨の質に決定的な影響与えた。つまりどちらか王朝シジルマサ支配権握ったときにその王朝金貨の金含有量増えて良質な金貨発行された。10世紀は、ファーティマ朝後ウマイヤ朝のみならず多くイスラム王朝金貨発行したので、金の需要はますます増大した

※この「都市化及びミドラール朝時代」の解説は、「シジルマサ」の解説の一部です。
「都市化及びミドラール朝時代」を含む「シジルマサ」の記事については、「シジルマサ」の概要を参照ください。

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