部分的な成功
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/04 03:24 UTC 版)
イタリア政府は北部の工業地帯が民間主導で進められていることに対する形で、南部の開発は政府主導で進めることを計画していた。1957年、議会で国家持株会社(国営会社)に対して新規設備投資の60%と全投資の40%を南部地帯にて行うように決めた法律が可決され、ENIやフィンシーデルなど国営企業が次々と南部地域に工業地帯を建設を進めていく。特にフィンシーデル社がターラントに築いた巨大製鉄所は現在に至るまでイタリア最大の製鉄所として機能しており、南部の工業化は一定の成功を収めた。また南部の国営企業の建設事業には北部の民間企業も部分的に参入していたため、北部経済も更に伸張するなど計画は順調に推移していた。 しかし肝心の南部人の失業率改善に関してはほとんど効果をもたらさなかった。何故なら国営会社による工業地帯は高度に機械化が進められており、雇用を得られるのは南部人の中でも大卒などのインテリ層のみで、彼らはもともと北部の企業に就職するなど職には困っていないケースが多く、本題である職不足に苦しむ貧困層に向けての雇用は創出されなかったためである。結果、バノーニ計画は南部全体の失業率改善には寄与せず、代わりに南部人の間での失業率格差を広げる結果に終わってしまった。ただ一方で逆に言えばインテリ層の多い都市部や工業地帯の経済力は向上し、南部経済の底上げには成功したとの見方もある。
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