遺体の状況と搬出・収容
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 03:58 UTC 版)
「日本航空123便墜落事故」の記事における「遺体の状況と搬出・収容」の解説
尾根に激突した機体前部の乗客乗員は、機体の破壊とともに尾根に投げ出され死亡し、五体あった遺体もあったが、多くの遺体は全身挫滅、全身挫折、内臓破裂による臓器脱出、全身の表皮剥脱など激しく損壊していた。また火災により完全に焼損した遺体も多かった。焼損した部分は機首部分と胴体部で、燃料の入った主翼の大半とスゲノ沢へ滑落した機体後部は焼損しなかった。 一方、尾根への激突を免れた機体後部は衝撃も少なく火災にも巻き込まれなかったため、スゲノ沢で発見された遺体は見た目には生存(気絶)しているのか死亡しているのか区別できないほど、ほぼ完全な状態で発見された。ここから4名の生存者が発見された事もあり、谷間に駆け付けた自衛隊員、警察官、上野村 消防団員は慎重を期して一人ひとりの体を揺さぶったり脈を取るなどして生死を確認したが、4名の生存者以外はすでに全員が死亡していた。 群馬県警は遺体の収容先を当初予定していた上野村から直線距離で約45km離れた群馬県藤岡市で行うこととした。遺体搬出は陸路では無理と判断され、陸上自衛隊によるヘリポートを造成して14日から搬出作業を開始することとなった。 13日夜、空挺団派遣隊はヘリポート作りに着手した。尾根の南東の急斜面を掘削した。岩山のため作業は難航したものの夜半に目途が経ち、仮眠をとってから朝方作業を再開し、14日午前7時頃までにはUH-1Hが運用できるヘリポートが完成した。スゲノ沢からヘリポートまでの搬出路もつくった。 ただ、空挺団が作ったヘリポートだけでは輸送力が足りず、大型ヘリによる輸送を行える第2ヘリポートを作ることとなった。15日午前7時、第12師団施設大隊が建設を開始した。場所は第1ヘリポートから離れた尾根の先端の切り立った場所が選ばれた。大型ヘリが離着陸するため荷重計算を慎重に行い、資材は切り出した唐松250本を使用して骨組みとし、その上から土のうを積んだ。16日15時、完成した。
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