過去の動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/20 08:31 UTC 版)
「アレン郡 (カンザス州)」の記事における「過去の動向」の解説
準州時代の最終年である1860年、大きな干ばつがおこり厳しい年になった。郡人口は約3,000人であり、ギリギリの収穫では飢餓に陥ることが避けられないと思われた。人々の大半は2年以内に郡内に入ってきており、飢えと困難さを前にして東部に戻った。 南北戦争の時代には発展したが緩りとだった。1865年から1870年には着実に人口が増加し、7,022人が数えられた。それからの3年間は急速に入植が進んで、多くの改善が加えられ、数千エーカーの土地が耕作地に変えられた。この期間は恐らく郡の歴史でも最も進歩的な時代だった。金が豊富にあり、ほとんど誰もが事業を行うか、その資本金一杯に資産を購入した。その結果として1873年の金融恐慌が起こり、1874年にはイナゴの大量発生が続いたので、ほとんど全ての改善が留まり、資産価値が暴落して、多くの開拓者(3分の1近く)が郡を離れた。1875年の人口は6,638人だった。その後の時代は持ち直し、1878年には8,954人になった。郡内の繁栄度が上がり、1881年の人口は11,098人となったが、それまでの改善が入植者を増やしていた。1882年、人口は11,098人となった。 郡の人口は成長を続け、1910年国勢調査での27,640人がピークになった。近年では人口が減り続けているが、減り方が鈍化しつつある。
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