連続爆破事件と反日思想からの離脱とラジニーシとの出会い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/30 06:41 UTC 版)
「加藤三郎 (新左翼)」の記事における「連続爆破事件と反日思想からの離脱とラジニーシとの出会い」の解説
1977年に神社本庁爆破事件、三井アルミ社長宅爆破事件、平安神宮放火事件、梨木神社爆破事件、東本願寺爆破事件、東急観光爆破事件、東大法文1号館爆破事件などを犯行する。その後も手製爆弾の製造を続けていたが、1978年1月1日、明治神宮で糞尿を飛び散らせるための「糞尿爆弾」の製造に取り掛かっていたところ、東京都板橋区のアパートで爆発事故を起こし、同居していた女性とともに逃亡。警察庁指定被疑者特別指名手配の対象となった。この誤爆事件以降、爆弾闘争は止め潜伏生活をおくった。潜伏中、以前愛読していたライヒの著書を再読していくうちに「反日思想」からの離脱を自覚するに至った。 そしてある書店で『生命の歓喜―バグワン・シュリ・ラジニーシとの対話 ダルシャン日誌』という本が目に入った。この本はインドの神秘家ラジニーシが弟子や訪問者の質問に回答していく宗教書であった。加藤はラジニーシ思想に感化され、遂にラジニーシのサニヤシン(弟子)になることを決意し、「スワミ・プレム・デバム」の瞑想名をもらうことになった。
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