連想ゲームとは? わかりやすく解説

連想ゲーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/12 06:30 UTC 版)

連想ゲーム』(れんそうゲーム)は、1969年4月から1991年3月までNHK総合テレビジョンで放送されたクイズ番組である。


注釈

  1. ^ MBSアップダウンクイズ』とタイ記録。
  2. ^ 番組初期のころ、紅組の得点板に百の位と十の位にのみ0を出すことができず、一の位にも0が出るため、オープニングでは0が少し映った後にズームで寄せて「30」を表示していた。この「7」「30」の表示は日中、BSの再放送でも同様。ちなみに2003年3月27日の復刻版でBS2ではオープニングはなく、19:20での放送だったので「7」「20」と表示、その後の総合テレビではオープニングがあり、20:00での放送だったので「8」「00」と表示された(番組の内容は同じ)。『WALKING EYES アルクメデス』内の本家のパロディー版である「ほうれんそうゲーム」でもオープニングが流れ、そのときには現在の時刻である「0」「23」(2010年7月16日未明の初回放送時)と表示された。
  3. ^ なお、この放送時刻にあわせ、オープニングでは得点板の白組の一の桁に「7」、紅組の百・十の桁に「30」と表示された[注 2]
  4. ^ 「白組」「紅組」という言い回しを使うのはオープニングのメンバー紹介程度(「○組○姓チームキャプテン○○○○さん」)で、それ以外は「男性チーム」「女性チーム」と言っていた。
  5. ^ 1988年4月6日放送分からステレオ放送になったのと同時にキーを半音下げる(オリジナル版のキーは変ホ長調、アレンジ後はニ長調)などアレンジしたものを使用した。ただし、復刻版と『WALKING EYES アルクメデス』内の本家のパロディー版である「ほうれんそうゲーム」ではアレンジ前の曲が使用された。
  6. ^ 問題は前半戦では本放送時の15問から25問に、3ヒントコーナーが2問から4問に、ワンワンコーナーが5問から10問にそれぞれ増やして行われた。「1分ゲーム」(出題は本放送時の最末期と同様に13問で、白組が「白」・紅組が「赤」から始まる単語)で1問正解出た場合は、両チーム共に茶色の「どーもくん」のぬいぐるみが置かれる。この復刻版の結果は白組367点・紅組307点で、白組チームの勝利だった。
  7. ^ 放送時間は毎週日曜21:20 - 21:50。字幕放送あり。ただし、月2本のペースでの放送だったため、特番などで放送されない週があった。全20回の放送で初回のみ1986年分だったが、2回目以降は1989 - 1990年収録分からの再放送だった。
  8. ^ 相違点は、負けた場合に置く「りんご」と「みかん」の飾り物が「どーもくん」と「ななみちゃん」の人形であった点である。
  9. ^ これは緑黄色野菜根菜に分かれてのもので、司会の「ホウレンソウアナウンサー」の声は本家でも司会をした徳田が務めた。2010年7月 - 9月のレギュラー放送でもこのコーナーが放送された。ピンポン音は本家のものよりも音程が低めである他、得点版は電光表示板ではなく、デジタル(セグメントディスプレイ)表示である(ミニチュアサイズで撮影する関係上、本家にあった得点版周りの数字のランプといったものはなかった)。
  10. ^ 復活アレンジ版のヒントはリスナーからの投稿で、放送中にTwitterのサーバーが一時パンク状態となった。
  11. ^ 新潟県では、当該時間帯に「解体!新潟女子新書」を放送するため休止。周辺各県のNHKラジオ第1の周波数またはNHKワールド・ラジオ日本の周波数を合わせるか、らじる★らじるradikoを介していれば聴取可能。
  12. ^ 1986年放送分で残存する内、3月12日放送分については、全国にあるNHKアーカイブス公開ライブラリーにて観ることができる。
  13. ^ このうち、1986年12月3日放送分については元々NHKには残っておらず、2009年10月に新潟県在住の視聴者が録画したテープから発掘され、その視聴者より寄付されたものである[6]
  14. ^ ただし、1978年以降にも代行として司会をした放送回がある。
  15. ^ 1分ゲームを始めるとき「よーい、ダーン!」という言い方だったのが、当時のNHKアナウンサーとしては珍しかった。さらに後任の吉川精一アナも、就任直後のごく僅かの間であったが、松平アナに肖って、「よーい、ダンッ!」と合図をしていた。
  16. ^ その日のゲストガッツ石松への出題。
  17. ^ もう一方のキャプテンはグッチ裕三だった。
  18. ^ 但し、レギュラー固定当初の1年間は、正規のレギュラー出演者がスケジュール都合で収録欠席が多かったため、予備として下記レギュラーに加え、紅組は内海好江、ロミ・山田、松坂慶子左時枝ちあきなおみ土田早苗、白組は馬場のぼる平尾昌晃渡辺篤史、三笑亭夢八(のちの三笑亭夢丸)をピンチヒッター要員として起用した。
  19. ^ スケジュールの都合で不在時は天地総子、宮城まり子が代理キャプテンを担当。
  20. ^ 1977年1月22日 - 3月26日放送分はスケジュールにより一時休演。その期間は当時1枠解答者のロミ・山田が代理キャプテンを担当。
  21. ^ 当番組の紅組キャプテンとしては最長期間(約9年)務めた。
  22. ^ 加藤自身が出演の養命酒山一證券のCMでも、この番組を連想させるようなストーリーで制作したのもあった。
  23. ^ 『みんなの招待席』内包時代の休演時には小沢昭一、一龍斎貞鳳が代理キャプテンを担当した。
  24. ^ スケジュールの都合で不在時、三遊亭小圓遊が代理キャプテンを担当。
  25. ^ 1978年7月19日 - 8月2日放送分・9月6日 - 11月22日放送分、1979年9月12日 - 12月5日放送分は、加藤の体調不良により一時休演。その期間は、当時1枠解答者の三橋達也(1978年の休演時)・渡辺文雄(1979年の休演時)が代理キャプテンを担当。
  26. ^ スケジュールの都合で不在時は内海好江が代行。
  27. ^ レギュラー起用前はうつみ宮土理・和田アキ子の代行で出演。なお、1977年1月22日 - 3月26日放送分はキャプテン代理を担当(その間、坪内ミキ子が1枠解答者として毎週出演)。
  28. ^ 不在時はちあきなおみ、ロミ・山田、松坂慶子が週替りで代行。
  29. ^ 最終回(1991年3月20日)は元1枠レギュラー・坪内ミキ子が出演。
  30. ^ 不在時は松坂慶子・土田早苗が代行。
  31. ^ 当番組の紅組レギュラー解答者としては最長期間(約15年)務めた。
  32. ^ 1985年1月 - 3月は一時休演。その間は和田アキ子・土田早苗・浅茅陽子中原理恵由紀さおり萬田久子が週替りで代行
  33. ^ 不在時は左時枝が代行。
  34. ^ 最終回は元3枠レギュラー・檀ふみが出演。
  35. ^ 1974年4月20日 - 8月10日放送分は一時休演。その間は主に木原光知子が代行。
  36. ^ レギュラー起用は1974年11月16日放送分から。
  37. ^ レギュラー当初の1978年4月 - 1979年3月の1年間、白組の5枠レギュラー・大和田獏と直接対決した。この番組の共演を機に、1983年大和田と結婚産休により降板。
  38. ^ 結婚による芸能活動休業を表明し降板。
  39. ^ 石原伸晃の現妻。石原と結婚後の1989年、石原の衆議院選挙立候補等により降板。
  40. ^ 不在時は馬場のぼるが代行。
  41. ^ 1978年7月19日 - 8月2日・9月6日 - 11月22日放送は代理キャプテンを担当。その間は宝田明平田昭彦倉石功山城新伍船村徹が週替りで代行。
  42. ^ 1979年9月12日 - 12月6日放送は代理キャプテンを担当。その間は馬場のぼる、月の家円鏡(のちの橘家圓蔵)、赤塚不二夫が週替りで代行。ほか不在時は主に元1枠レギュラー・三橋達也が代行で出演。
  43. ^ 2006年12月30日にBS2で放送された『週刊お宝TVスペシャル』で、ゲスト出演の際この番組が再現された時は、白組キャプテンを担当した(なお、紅組キャプテンは麻丘めぐみが担当)。
  44. ^ 不在時は杉良太郎(3枠から一時移動)、平尾昌晃、渡辺篤史が週替りで代行。
  45. ^ 最終回は元1枠レギュラー・渡辺文雄が出演。
  46. ^ 不在時は渡辺篤史平尾昌晃三笑亭夢八が週替りで代行。
  47. ^ ただし、1973年1月 - 3月はスケジュールの都合で、1月20日・3月24日放送の合計2回のみ出演。その間不在時は渡辺・平尾が週替りで代行。
  48. ^ 当番組の白組レギュラー解答者としては最長期間(5枠時代を含め約12年)務めた。
  49. ^ 加藤キャプテンからは「バクちゃん」と呼ばれていた。
  50. ^ ただし、最終回(1991年3月20日)は休演、元1枠レギュラー・三橋達也が代行で出演。
  51. ^ 不在時は三笑亭夢八が代行。
  52. ^ 最終回は元5枠レギュラー・水島裕が出演。
  53. ^ 1974年8月 - 9月は一時休演。その間は主に元4枠レギュラー・内田喜郎、ほか田中星児が週替りで代行。
  54. ^ レギュラー当時の1978年4月 - 1979年3月の1年間、紅組の5枠レギュラー・岡江久美子と対戦。この番組共演を機に1983年岡江と結婚した。
  55. ^ 当初1981年1月から蟇目は「一時休演」と表されたものの、同年3月に入っても復帰の目途がたたないために、そのまま降板となった。
  56. ^ 蟇目の休演から水島がレギュラー起用までの間、繋ぎ役として出演。
  57. ^ メンバー紹介における大きく高い声の「こんばんは!」という挨拶や、大声で答えを叫んだりするのが特徴的であった。
  58. ^ 宍戸錠の子息。実父・錠が2枠ゲストで当番組登場時、親子としての共演があった。
  59. ^ 1973年4月 - 1991年3月(番組終了)まで、解答者の座席はレギュラー3人とゲスト2人が交互に入り、奇数枠=1・3・5枠がレギュラー陣、偶数枠=2・4枠はゲスト陣に定着されていた。
  60. ^ ○○さんは最初の解答者、××さんはその相手側。1問目から5問目まではフルネームで読み上げ。6問目以降も同じ苗字がいる場合はフルネームか下の名前のみ読み上げた。
  61. ^ 例として出題が「肩こり」で「こり、肩凝り」や、「ひや汗」で「あせ、冷や汗」等と2つの単語を答えたら、不正解の扱いとなる。
  62. ^ 番組後期、解答者が無言のままで単語が出ない場合やピンポンと同時に解答した時はゆっくりとチャイムが鳴り、解答者がすぐ不正解を発した場合は早目にチャイムが鳴った時期がある。
  63. ^ 10問目のヒントを出す際、大抵の司会者は「これが最後(のヒント)です」と言っていた。
  64. ^ ただし司会者によっては、他解答者らに対して「この問題、どなたか(分かりましたか)?」と尋ねていた。
  65. ^ 例として出題が「ファックス」「ガム」で、解答者が「ファクシミリ」「チューインガム」と答えても正解扱いとなる。
  66. ^ 逆のケースで出題が「昆布(こんぶ)」で、解答者が「こぶ」と略語を言っても正解とみなす。
  67. ^ 例として出題が「シャンパン」「エンゼル」「木(き)の芽あえ」で、解答者が「シャンペン」「エンジェル」「木(こ)の芽あえ」と答えた場合等も正解とした。
  68. ^ 例として出題が「金(かね)」「近所(きんじょ)」「女将(おかみ)」で、解答者が「お金」「ご近所」「女将さん」など、それぞれ敬語を付けても正解になる。
  69. ^ 例として出題が「司会」「舶来」「消防車」「つづら折」「上がり湯」で、解答者が「司会」「舶来」「消防自動車」「つづら折」「湯上がり」等と答えると不正解となる。
  70. ^ 実例に、出題が「寮歌」で、坪内ミキ子はキャプテンの中田喜子のヒントで、自分の思った解答に自信なかったのか「違うんだな、『寮歌』じゃない… 」とつぶやいてしまい、司会の松平アナは「うーん、どうしようか?レギュラーだからなあ…」ということで不正解扱いになり、対戦相手の渡辺文雄に正解を譲る格好になった。他にも坪内は出題が「ライバル」の時も「ラ、『ライバル』じゃない…」と言ってしまい、同じくその直後に渡辺が正解になった。白組・加藤キャプテンから「この頃多いねえ?」と指摘されると、坪内は「自信がないもんですから…スミマセン」と俯きながらしょげかえっていた。
  71. ^ 得点が奇数の場合、端数は切り上げまたは切り捨てとなり(5点の場合2点又は3点に減点)、1点の場合は0点となる。
  72. ^ 例として副詞・助詞・接続詞のついた言葉など。但しかつて当番組の開始当初、動詞・形容詞等はOKだったものの、番組後期から違反ヒントに加わり減点対象となった。
  73. ^ 他にも「一杯」(いっぱい)・「粒々」(つぶつぶ)・「何時も」(いつも)等、文法上で名詞以外に副詞的な表現が含まれる言葉も違反となる。
  74. ^ 例えば「空港」が出題で、解答者が「エアポート」と答えて不正解となった後、相手チームのキャプテンは「日本語」のヒントなら違反にならないが、「日本語」と発言すれば違反となる。
  75. ^ 他にも実例に「まゆ毛」の出題で、白組・加藤キャプテンが最初に「三日月」のヒントを出した直後、加藤自身が眉毛を触ったことに気付いた水島裕は正解。だが対戦相手の岡江久美子をはじめ、紅組チームから「ずるい!」とブーイング。司会の松平アナも「あのー、言葉だけにヒントをお願いします」などと苦言を呈し、10点から2点引いて8得点となった。
  76. ^ 実例に、「むくむく」の出題で加藤キャプテンが「豆の皮」の違反ヒントを出したが、水島裕は「むきむき」と惜しくも不正解に。次に中田キャプテンが「羊毛」のヒントで、紅組の中井貴恵が正解時、減点されず5点加算された。ほか「切り盛り」の出題で加藤キャプテンは「たくあん丼」という違反ヒントを出すも、白組の渡辺文雄は唖然とした表情で解答できず。次に中田キャプテンが「包丁」のヒントで、坪内ミキ子が正解時もそのまま4得点となった。
  77. ^ 実例では、「かちかち」が解答のヒントが「負け」(対義語の「勝ち」を連想させるヒント)、「神通力」が解答のヒントが「お産」(「陣痛(じんつう)」の連想ヒント)、「快刀乱麻」が解答のヒントが「問題用紙」(「解答欄(かいとうらん)」の連想ヒント)、「誤解」が解答のヒントが「4階」(「5階(ごかい)の連想ヒント)、「ダンディー」が解答のヒントが「ふみさん」(「檀(だん)」の連想ヒント)など、これらの言葉はなかなか正解が出ない時「取って置き」のヒントとして出される場合が多い。
  78. ^ 例として「手塩」のヒントで「足砂糖」、「逆立ち」のヒントで「足上頭下」、「うらうら」のヒントで「島太郎」(「浦島太郎」を連想させるヒント)、「ぎすぎす」のヒントで「逆立ち良太郎さん」「逆立ち花粉症」(「杉」を連想させるヒント)、「五月雨」のヒントで「6月の前」など。
  79. ^ 春風亭小朝がスリーヒントコーナーの「~行くよ」という歌の歌詞のヒントで「今くるよ」と言ったのが違反として扱われた。ただし、司会者は「固有名詞なので」と発言したものの、他の問題で地名や作品名をヒントにした際には違反とならなかったので、人名のみ違反扱いと思われる。
  80. ^ 後にスリーヒントコーナーも同様となる。
  81. ^ 大概の司会者は名前だけ紹介するが、徳田の場合は解答者の短いエピソードや相手チームへのメッセージなどを織り交ぜることが多い。
  82. ^ 実例に、出題が「臥薪嘗胆」だとヒントは「仇討ち、辛抱、空襲」、出題が「短気は損気」だとヒントは「癇癪持ち、出世、マイナス」、「夕焼け小やけの赤とんぼ」だとヒントは「日暮れ、思い出、オニヤンマ」など。
  83. ^ 実例に、出題が「人間万事塞翁が馬」で、最初白組・加藤キャプテンが「世の中、吉凶、巡り合わせ」のヒントを出すも、男性チームは時間切れの不正解で0点に。その後紅組・中田キャプテンが「一生、有為転変、青島幸男さん」のヒントで、女性チームが正解して5点加算された。
  84. ^ 実例に、出題が「成らぬ堪忍するが堪忍」で、最初紅組・中田キャプテンが「無理難題、ひたすら、我慢」のヒントを出すも、女性チームは解答が出ず時間切れに。その後白組・加藤キャプテンは「辛抱。しんぼう!シンボウ!!」のヒントを出したが、男性チームも時間切れで両者無得点だった。
  85. ^ 例題で、隠しテーマが「動物園」だと出題は「象」「ゴリラ」「パンダ」「入場料」「おり」「売店」、隠しテーマが「旅館」だと出題は「金庫」「丹前」「地酒」「温泉」「宿帳」「座敷」、隠しテーマが「光り輝く物」だと出題は「宝石」「瞳」「シャンデリア」「一番星」「汗」「スパンコール」など。
  86. ^ 放送では司会が「2問目からは挑戦者先攻です」等と表現されていた。
  87. ^ ただし正解が出なかった場合、解答者はそのままで次の問題の先攻後攻が入れ替わる。
  88. ^ 坪内ミキ子、水島裕、山形由美、江守徹等がパーフェクト(相手チームを5人ストレートで勝ち抜け)を達成したことがあり、白組4連敗で最後の解答者だったなかにし礼が1人で5連勝する大逆転劇をしたことがある。
  89. ^ ある回で、紅組・中田喜子キャプテンが最初「海」のヒントに、解答者の檀ふみは何故か「太平洋」と珍解答。白組の加藤芳郎キャプテンは檀を指差して苦笑い、檀の隣席のゲスト・汀夏子が「意味を分かってねえんだよ!」と突っ込む。大きな勘違いに気付いた檀本人をはじめ、スタジオ全員は大爆笑。対戦相手の大和田獏は「いや、偶にはそういうこともあります」とフォローするも、司会の吉川アナが「檀さん、一応確認させてください。『ワンワンコーナー』でございますので、『太平洋・太平洋』となっちゃいますからね」と指摘すると、檀は「すみません…」と大笑いしながら謝罪した(ちなみに正解は大和田が答えた「のたりのたり」)。
  90. ^ 実例に、出題が「つり橋」なら「ゆらゆら」「ひやひや」、出題が「二日酔い」なら「ずきんずきん」「ふらふら」「むかむか」「よろよろ」等といった具合にヒントを出す。
  91. ^ テーマが「食べ物」で、緑で「ピーマン」、赤で「いちご」、紫で「ぶどう」の様に、思い付きやすい物が出題された反面、茶色で「梨」、黄色で「油揚げ」、茶色で「コーヒー豆」のように、少しひねった物が出題されて相手チームが混乱する場合がある。
  92. ^ 耳打ちをした時の口の動きで解答がわかる恐れがあるため、箱にかけられた布で口元を隠して耳打ちしていた。
  93. ^ 針が一周して一分を計る方式のタイマー。末期はタイマー盤面に赤い発光ダイオードが付き、タイマーの針の動きと連動し点灯した。復刻版でも同じ仕様だった。
  94. ^ 0.5秒刻みでトントンと音が鳴り、1分経つとジリジリとベルが鳴る仕組みである。時間内に全部答えが出た場合、タイマーの刻む音は消えるが秒針は1分経つまで回り続ける。
  95. ^ 傾向として、1.特定の漢字で始まる言葉(例:白組は「若」「鉄」、紅組は「新」「青」で始まる単語)や、2.特定の1字又は2字で始まる言葉(例:白組は「マ」、紅組は「ロ」で始まるカタカナ単語、白組は「あ」「いん」「じょう」、紅組は「い」「えん」「しょう」から続く言葉)などが大半である。稀に特定の文字で終わる言葉(例:白組は「た」、紅組は「と」で終わる単語)、共通する品名(例:白組は「四角い物」「白い物」、紅組は「丸い物」「赤い物」)、共通する言葉(例:白組は「石」「の」、紅組は「子」「っ」の字が入る単語)、両チームどちらも同じ特定の漢字で始まる言葉、両軍共に漢字一字の単語、しりとりで繋がるパターンなどがあった。
  96. ^ 別の回では、1〜5問目は白組が「蛾(が)」「窓(まど)」、紅組が「蚊(か)」「的(まと)」など、相手チームの言葉に濁点を付けるか外す、6〜10問目は白組が「鍔(つば)」「紙(かみ)」、紅組が「椿(つばき)」「雷(かみなり)」等、相手チームの単語の後ろに1・2文字を付け足すか減らす、11問目以降は白組が「女」「水」、紅組が「男」「油」など、相手チームの解答と対になる「共通した漢字一字」の凝った出題がある。しかし白組・加藤キャプテンは「凝りすぎ、凝りすぎ」と不満げにコメントした。
  97. ^ もし両チーム共に同点の場合、キャプテン同士がじゃんけんして勝った方が後攻、負けた方が先攻となる。
  98. ^ 先攻が特定の漢字で始まる問題なのに、後攻が特定の漢字で終わるというように、いきなり問題の傾向が変わることはない。
  99. ^ そのため、白組キャプテンの加藤芳郎と復刻版の春風亭小朝が、アシスタントに対して「(フリップを)こっち向けてね」などと指摘したことがある。
  100. ^ フリップの最初は「1分ゲーム」のタイトルフリップだった。もし全問正解したら、再び「1分ゲーム」のフリップに戻る形式となる。
  101. ^ 紅組は赤色、白組は白色であった。解答者の机の下にあり、そこから解答者自ら出す。1988年4月からの番組末期ではキャプテンの似顔絵パネルとなった。
  102. ^ 実際に復刻版では、紅組の原日出子キャプテンが「赤とんぼ」と解答を言ってしまい、ノーカウント扱いとなった。またレギュラー期では、紅組・白組各キャプテンがパスの際正解を発言する手法(答えおよび共通点のヒントを明確にするため)をよく取っていた。
  103. ^ 実例に、白組のテーマが「風(ふう)」から始まる言葉で、出題が「風俗」の際に解答者の大和田獏はなかなか答えが出ず、加藤キャプテンは苦し紛れで「人偏に谷と書く」の明らかな違反ヒントを出し、大和田はようやく正解。だが終了後の解答確認時、司会の松平アナから「ヒントでも何でもない」と判断されて、無得点となった。
  104. ^ その際違反ヒントが一つもなかった場合、司会者が言う「違反ヒントは、ありません!」は番組を代表する決め台詞となった。
  105. ^ 男性チームは向かって左が解答者、右がキャプテンで、女性チームはその逆となる。
  106. ^ 番組初期は数字の裏にランプが仕込まれている方式、1978年頃から数字自体が光る方式、番組終了直前の後期では、獲得得点の得点板が司会者席の下に移り、得点板には正解すると獲得できる得点が表示、得点板の周りには解答権のあるチームのカラーのランプが点灯され、紅組はピンク、白組は水色のランプが点灯する。また、1978年頃からメインの得点板の周りに豆電球がフラッシュする電飾があり、オープニングとエンディングで点滅するが、後期の獲得の得点板が司会者席の下に移り、メインの得点板の周りの10から1のランプがなくなると、豆電球がフラッシュする電飾の数が増やされた。
  107. ^ ただし、椅子は5枠レギュラーの解答者が出した。
  108. ^ 電卓のような表示方法。3ヒントコーナー、勝ち抜きゲーム、1分ゲームは番組最後までこの表示方法。後に獲得点数が司会者席の下に表示されるようになってからはダイレクトに合計得点が表示される(それと同時に獲得点数の表示も消える。転送のような感じである)。
  109. ^ ただし、番組後期に入るとその規則が緩和され、当時レギュラー解答者の大和田獏や中井貴恵などが、民放テレビ局のクイズ番組(TBSテレビ系列『クイズダービー』等)にゲスト出演したことがあった。
  110. ^ 紅組は当時レギュラーの市毛・山形・中村に加えて2枠に坪内・4枠に檀が、白組は同じくレギュラーの江守・宍戸に加えて2枠に渡辺・3枠に三橋・4枠に水島が着席。当時白組3枠レギュラーの辰巳は休演した。
  111. ^ 当番組最終回で1分ゲームの出題は、紅組が「銀」・白組が「金」から始まる単語だった。なお、最終回の勝敗は、紅組405点・白組335点で紅組チームが勝利。

出典

  1. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所 放送史編修室 編『NHK年鑑'69日本放送出版協会、1969年9月20日、167頁。NDLJP:2525969/104https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2525969 
  2. ^ a b 日本放送協会総合放送文化研究所 放送史編修室 編『NHK年鑑'70日本放送出版協会、1970年9月20日、214頁。NDLJP:2525970/139https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2525970 
  3. ^ 読売新聞1969年5月23日27面「クイズ番組・あの手この手」より
  4. ^ 日本放送協会総合放送文化研究所 放送史編修室 編『NHK年鑑'71』日本放送出版協会、1971年9月20日、149頁。 
  5. ^ ピックアップ「夏期特集」” (PDF). 日本放送協会 (2018年6月20日). 2018年6月21日閲覧。
  6. ^ 2010年初めに印刷されたNHKアーカイブス発行のパンフレット「お宝発掘キャンペーン第2弾」の「これまでの「発掘」例」の項目に掲載される。
  7. ^ 発掘番組リスト
  8. ^ NHK発掘プロジェクト(2018年2月23日)
  9. ^ NHK発掘プロジェクト(2018年12月21日)
  10. ^ NHK発掘プロジェクト(2019年11月22日)
  11. ^ NHK発掘プロジェクト(2020年12月18日)
  12. ^ NHK発掘プロジェクト(2018年8月3日)
  13. ^ 中村メイコ - NHK人物録
  14. ^ 藤田弓子 - NHK人物録
  15. ^ 坪内ミキ子 - NHK人物録
  16. ^ 岡江久美子 - NHK人物録
  17. ^ 「日本照らした“物知りお母さん”岡江久美子さん、愛された庶民派の主婦感覚」スポーツニッポン2020年4月25日


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