軍・議会の再編と膠着からの脱却
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「イングランド内戦」の記事における「軍・議会の再編と膠着からの脱却」の解説
クロムウェルの騎兵隊はこの時すでに鉄騎隊とよばれ勇名を馳せていたが、それだけでは国王軍を撃破することはできなかった。各地方では依然として国王派が優勢であり、再編されたはずの議会軍もばらばらの行動をとり続けていたのである。さらに議会内でも、和平派(長老派)と改革派(独立派)の対立が激化し、悲観的な雰囲気さえ流れ始めていた。政治的にも軍事的にもなお議会派は「烏合の衆」であり、結束を強化する必要に駆られていた。この動きが出始めたのは、軍の指揮官たちからであった。 このとき、和平派(長老派)によって、王党派との交渉が行われていた。この交渉が不調に終わると、改革派(独立派)が議会内で勢いを得て、鉄騎隊の組織機構を軍全体に広げて団結を強める「ニューモデル条例」、無能な指揮官(議員を兼職する指揮官)を軍から排除する辞退条例を成立させた。こうして誕生したニューモデル軍の統一的行動により、戦況は有利に展開することとなる。 8月2日、ロストウィシールの戦い(英語版)。 9月18日、モンゴメリー城の救援(英語版)。 10月27日、第二次ニューベリーの戦い(英語版)。 1645年6月14日、ネイズビーの戦いで国王軍主力を叩き潰すにいたった。以降1年をかけて議会軍は各地を平定した。 7月、3次にわたるトーントン包囲戦(英語版)が終結(1644年9月から)。 7月10日、ラングポートの戦い(英語版)。 9月、第二次チェスター包囲戦(英語版)開始(1646年2月まで)。 9月24日、ロウトン・ヒースの戦い(英語版)。 1646年2月16日、トリントンの戦い(英語版)。 3月21日、ストウ=オン=ザ=ウォールドの戦い(英語版)。 5月、オックスフォード包囲戦(英語版)。 チャールズ1世は自らの負けを悟って再度の和平交渉を持ちかけた。このとき議会の主導権を握っていた独立派は和平の提案を一蹴し、チャールズ1世は独立派と疎遠になりつつあったスコットランドに逃亡した。しかし結局国王の身柄はイングランドに引き渡され、核を失った国王軍は議会軍に投降し、1647年1月に内戦はひとまず幕を迎えた。
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