車寅次郎のモノマネでブレイク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/28 03:28 UTC 版)
「野口陽一」の記事における「車寅次郎のモノマネでブレイク」の解説
1997年2月、ゆうばり映画祭「寅さんなりきりコンテスト」で準優勝した。1996年8月より週末(毎月第2・第4土曜日)に行っている「柴又寅さんガイド」では、「男はつらいよ」の寅さんになりきって柴又のボランティアガイドを今日まで続けており、こうした活動に対して2002年故渥美清七回忌追悼献花式において山田洋次から、直々に感謝状を手渡されている。これによりガイドや参道店舗、地元の方から信頼されている。 2002年、プロ芸人集団「ボーイズバラエティ協会」へ入会が許可され、浅草東洋館や新宿末広亭の寄席に出演を開始し、積極的に寅さんのものまねを通してメディアに出演している。2007年から2008年にかけて、ANAスカイホリデーのツアー企画「寅さんを演じる感動案内人とゆく柴又散策」で感動案内人として柴又の案内をする。2007年頃に柴又帝釈天の節分祭における力士などと共に豆まきのメンバーに選ばれ、以後毎年豆まきのメンバーとして参加している。2009年、映画「アニと僕の夫婦喧嘩」に出演した。 2013年1月、芸名を「野口寅次郎」に改めたことを記念し、上野広小路亭において襲名披露公演を行った。2012年11月から2014年4月にかけて、東日本大震災による東北の被災地復興支援チャリティとして、都電荒川線の電車一両を貸し切って、電車内で「都電ライブ」公演を5回にわたり行った。2014年1月26日、柴又帝釈天において文化財防火デーのイベントとして、一日寅さん消防所長を務め、その後も毎年消防隊長を務めている。2015年1月、お江戸日本橋亭において「新春寅さん早朝寄席」公演を行った。2015年より、毎月10日(フーテンの日)の寅さんの日に「寅さんファミリー(リリー、さくら、博、おいちゃん)」と共に帝釈天参道でアピールしている。
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