越後文書宝翰集とは? わかりやすく解説

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越後文書宝翰集(七百五通)

主名称: 越後文書宝翰集(七百五通)
指定番号 51
枝番 00
指定年月日 1979.06.06(昭和54.06.06)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 古文書
ト書
員数 44
時代区分 鎌倉桃山
年代
検索年代
解説文:  色部【いろべ】、三浦和田氏以下、中世越後国において活躍した国衆十二家相伝文書で、鎌倉時代から室町戦国時代に至る間の越後国動向伝えた根本史料である。これらのうち三浦和田文書所領分割譲与に関する譲状、及びこれに対す幕府安堵状、あるいは所領相論等の惣領制実態を示す文書が多い。中でも正応五年八月作成思われる奥山庄荒河保に関する絵図は、堺相論和与絵図代表的遺例である。

越後文書宝翰集

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 14:47 UTC 版)

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越後文書宝翰集(えちごもんじょほうかんしゅう)は、中世越後国武家関連の古文書を集めたもの。長岡市出身の実業家反町十郎が蒐集したもので、1979年に国の重要文化財に指定されている。2005年新潟県立歴史博物館所有となった[1]

概要

計705通の古文書が44巻の巻物に装丁されている。主に中越地方下越地方国人領主であった武家の鎌倉時代から戦国時代にかけての文書がほとんどで、特に戦国時代に関する文書が多い。家別にみると色部氏文書が10巻(193通)を占め、他に三浦和田氏中条氏黒川氏など)・大見水原氏・毛利安田氏などの文書が多い。

色部氏文書は、越後国小泉荘色部条(現在の村上市牧目の一部)を領した色部家伝来の文書群で、嘉禄3年(1227年)4月9日藤原頼経下文を最古とし、永禄4年(1561年)、第4次川中島合戦に際し上杉謙信色部勝長に与えた、いわゆる「血染めの感状」も含まれている。

脚注

  1. ^ 新潟県立歴史博物館公式HP「ニューストピックス2005 」(2005年12月22日(木) 越後文書宝翰集を収集しました)。

参考文献

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