赤字国債の発行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 06:54 UTC 版)
同年6月、今後の日本経済に関して大蔵省代表の下村治と日銀代表の吉野俊彦との間で以下のようなやり取りが行われた。 下村「たとえ赤字国債でもためらわず発行すべきです。でないと手遅れになります」吉野俊彦(日銀代表)「国債発行は禁断の木の実になるおそれがあります。満州事変以降の苦い経験を忘れてしまったのですか」下村「政府に、勇気があれば、すむことです」 — NHK そのとき歴史が動いた 結果、同年7月に株価は一時1,000円割れ目前に迫るも、同月下旬、赤字国債を発行することを発表。11月19日には戦後初の赤字国債の発行を閣議決定。1月29日発行された。これらの影響により、いざなぎ景気がおき、高度経済成長は持続していった。そして、製造業の稼働率指数は1967年から1970年まで120%を越え、1968年には西ドイツのGNPを抜き、世界2位となった。 「福田赳夫」も参照
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