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賴髙英雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/26 06:56 UTC 版)

賴髙 英雄
よりたか ひでお
内閣府地方創生推進室より公表された肖像
生年月日 (1963-10-10) 1963年10月10日(61歳)
出生地 日本 埼玉県蕨市
出身校 埼玉大学教養学部
所属政党 日本共産党
称号 教養学士
親族 父・賴髙久雄(蕨市議会議員)
公式サイト 蕨市長 頼高英雄の活動日誌
第6代 蕨市長
当選回数 5回
在任期間 2007年6月6日 - 現職
蕨市議会議員
当選回数 3回
在任期間 1991年6月 - 2003年6月
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賴髙 英雄(頼高 英雄、よりたか ひでお、1963年昭和38年)10月10日[1] - )は、日本政治家埼玉県蕨市長(5期)。元蕨市議会議員(3期)。

来歴

埼玉県蕨市出身。父親は蕨市議会議員を7期務めた頼高久雄。埼玉県立浦和西高等学校埼玉大学教養学部卒業。

1991年、蕨市議会議員選挙に日本共産党公認で出馬し、初当選を果たした。

1999年2003年に蕨市長選挙に出馬するが、いずれの選挙でも現職の田中啓一市長に敗れ、落選した。

2007年、日本共産党の党籍を残したまま無所属で蕨市長選挙に出馬し、田中前市長の後継候補である庄野拓也(自民党公明党推薦)を破り、当選した[2]

2011年、前市議の三輪一栄(自民党・公明党推薦)を下し、再選[3]

2015年、自民党が候補者擁立を見送り、無投票で3選[4]

2019年6月2日の選挙では、自民党推薦候補の元新聞記者を破り、4選[5]

2023年6月4日の選挙では、元自民党県議会議員の新人候補を破り、5選[6]

市政

  • 初登庁後の会見において、蕨駅西口の再開発をめぐっては「現実的に再開発がここまで進んでいるので、進めざるをえないかも知れない。それによって第2・第3工区も違ってくる」と述べ、見直しの方向性に含みを持たせた。なお選挙戦では、第1工区についても「計画の大幅な見直しや中止」を公約に掲げていたが、2007年9月に市議会で「計画の大幅な見直しや中止は断念せざるを得ない」と表明し、選挙公約を事実上撤回した。
  • 2020年11月26日、新型コロナウイルス対策の財源に充てるため、自身の2021年1月から3月までの月額給与を20%減額する条例案を市議会定例会に提出した。副市長と教育長については10%減額する。12月16日、同条例案は可決された[7]

人物

  • 蕨市議時代は日本共産党公認で当選し、日本共産党会派に所属していたが、市長選出馬に際しては党籍を残したまま、市民団体「フレッシュみんなの会」が支援する形式を取って無所属で出馬した。

脚注

外部リンク

公職
先代
田中啓一
埼玉県蕨市長
2007年 -
次代
現職



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