資料としての『山上宗二記』とは? わかりやすく解説

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資料としての『山上宗二記』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/08 23:06 UTC 版)

山上宗二記」の記事における「資料としての『山上宗二記』」の解説

秘伝書ありながら名物」の紹介中心とする点からは、当時数寄者こうした道具拝見通じて養われる目利を必須技能としていた実態窺われる。 また同書では茶道具を「名物」と「数寄道具」に大別する前者唐物主体とした権威をもった道具であり、対して後者は堺の数寄者達が好んだ麁相」(そそう)を感じさせる道具である。これは茶の湯停滞していた状況にあって進取気風をもった堺衆既存権威否定することで茶の湯刷新しようとしていたもの読み取ることができる。そのような意味では、「わび茶」の発生とは「名物」を礼賛する価値観への否定であったことをよく示している。 またこのような価値観変化道具順序などによく表れており、先行する正月本」では茶入を「茄子」「肩衝」の順で記していたが、後の「二月本」ではこれが逆転している。その原因書院向きとされていた「茄子」から小間向きの「肩衝」へと、数寄者評価移っていったからではないか説明される。 「わび茶」の発生このような時代相背景としており、同書からは生々しくその空気読み取ることができる。 同書はまた茶室の図が多く載せられていることでも貴重である。「三畳敷は、紹鴎の代までは、道具無し侘び数寄専らとする」という記載もあり草庵茶室成立考え上でなくてはならない資料提供している。なかでも紹鴎四畳半」の図は研究者によって再三取り上げられており、草庵成立直前茶室ありよう生々しく伝えている。

※この「資料としての『山上宗二記』」の解説は、「山上宗二記」の解説の一部です。
「資料としての『山上宗二記』」を含む「山上宗二記」の記事については、「山上宗二記」の概要を参照ください。

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