豹「ハチ」のエピソード
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 23:56 UTC 版)
詳細は「ハチ (ヒョウ)」を参照 宮は1941年2月からの3回目の戦地慰問で中国を訪れた際、雨中の強行軍で無理をしたため高熱をだしてしまった。舞台を休んで臥せっていると、駐屯部隊の成岡正久小隊長が見舞いに訪れた。彼はひと月ほど前に捕獲した、生後間もない豹を連れてきた。親豹は逃げてしまったので、成岡が母親がわりに育てていたものだった。「ハチ」と名付けられていた赤ちゃん豹をあやすことで、病床の宮はみるみる回復していった。1週間ほどですっかり元気になった宮は、ハチと別れて慰問の行程を続けた。 1年ほど後に宮は、部隊の移動でハチを同行できなくなった成岡から、上野動物園でハチを引き取ってもらえないかと連絡を受けた。宮は知り合いの新聞記者を通じ動物園と連絡をとり、ハチは無事に上野動物園に引き取られた。しかし翌1943年8月、戦争が続いて食糧事情が悪化する中、ハチは他の動物たちと共に殺処分されてしまった。成岡はその直後に休暇で故郷に帰ってきたが、剥製にされていたハチと再会したのは戦後の事であった。成岡はこの顛末を『豹と兵隊』 (芙蓉書房, 1967) という本にまとめて出版した。この本がNHKのドキュメンタリー番組で取り上げられ、ゆかりのある宮も出演して剥製のハチと再会している。
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