豊浦村_(山形県)とは? わかりやすく解説

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豊浦村 (山形県)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 18:29 UTC 版)

とようらむら
豊浦村
廃止日 1955年7月29日
廃止理由 編入合併
鶴岡市、田川村豊浦村上郷村加茂町鶴岡市
現在の自治体 鶴岡市
廃止時点のデータ
日本
地方 東北地方
都道府県 山形県
西田川郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 6,799
国勢調査1950年
隣接自治体 加茂町、温海町、上郷村
豊浦村役場
所在地 山形県西田川郡豊浦村大字三瀬
座標 北緯38度42分03秒 東経139度40分17秒 / 北緯38.70078度 東経139.67133度 / 38.70078; 139.67133 (豊浦村)座標: 北緯38度42分03秒 東経139度40分17秒 / 北緯38.70078度 東経139.67133度 / 38.70078; 139.67133 (豊浦村)
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豊浦村(とようらむら)は山形県西田川郡にあった。現在の鶴岡市西部、羽越本線小波渡駅三瀬駅周辺にあたる。西田川郡の漁獲量の約3分の1を占める漁村であった。

地理

  • 海洋:日本海
  • 山:荒倉山、藤倉山、八森山
隣接していた自治体

西田川郡:山戸村(1892年から1954年まで)、加茂町温海町上郷村

歴史

村名の由来

豊かな自然や豊かな生活を願って命名された[1]

1942年の三瀬大火

1942年(昭和17年)11月18日19時25分に、三瀬戌から出火した。当時風速25メートルの強風が吹いており、172戸に類焼した。消防士1人を含む4人が死亡した。被害総額は148万円。[2]

村役場の被害

村役場での被害総額は3万6880円となった[3]。また、戸籍簿、除籍簿寄留簿、寄留手続令第11条の用紙が焼失した[4]。戸籍簿は1943年5月に近隣市町協力のもと再製した[5]が、除籍簿のうち再製されなかったものは、現在も鶴岡市役所では除籍謄本が交付できない。火災後は了願寺に仮事務所を設置、新庁舎が竣工したのは1943年12月10日であった[6]

年表

地域

小字の出典は『山形県地名録』263-264頁による。

大字三瀬

小字:三瀬・荒町・浦田・堅田・上降矢・下降矢・木谷地沢・越戸・猿田・獅子畑・菖蒲田・白山・小豆沢・殿田・鍋倉・冷田・二口・藤倉・水無・宮前・山田・横町

大字由良

小字:由良・由良沢・川原田・楮・古四王田・腰前・コタ田・猿田・スカ田・砂田・楯下・泊・東沢・町田・道田・村上

大字小波渡

小波渡と堅苔沢を合わせて「小堅」と呼ぶことがある[11]

小字:小波渡・明ノ下・甘木台・大台・小滝・李台・浜田・宮林

大字堅苔沢

小字:堅苔沢(かたのりざわ)・板台・鳥越・平畑・深浦・淵ノ下・宮田・葭浦

人口

1950年国勢調査による[12]

  • 世帯数:1,223戸
  • 人口:6,799人
  • 人口密度:241人/km2
  • 男女比:女性100人に対し男性85.6人

大字別人口

1942年時点[13]

  • 三瀬:2198人
  • 由良:1549人
  • 小波渡:735人
  • 堅苔沢:705人

行政

1947年村長選の決選投票

1947年4月5日、初の公選となる選挙が行われた[14]。立候補は志田弥太郎、白幡多一郎、伊藤吉蔵の3人だった[14]。3人とも得票数は800票台となり、法定得票を満たす者がいなかった[14]。現在の公職選挙法では、法定得票に満たない場合は一から再選挙を実施するが、当時は最多得票を得た2人による決選投票を行う制度であった[15]。志田と白幡の2人が決選投票となり、志田が第10代村長となった。

歴代村長

歴代村長[16]
氏名 就任年月 退任年月 備考
1 伊藤宜成 1889年(明治22年)6月 1913年(大正2年)6月 町村制施行
2 加藤利佐太 1913年(大正2年)6月 1921年(大正10年)1月
3 石塚伊津記 1921年(大正10年)2月 1926年(大正15年)5月
4 志田弥左衛門 1926年(大正15年)5月 1930年(昭和5年)5月
5 加藤利佐太 1930年(昭和5年)6月 1936年(昭和11年)1月 再任
6 白幡龍助 1936年(昭和11年)1月 1940年(昭和15年)1月
7 加藤利佐太 1940年(昭和15年)1月 1940年(昭和15年)11月 再任
8 石塚伊佐男 1940年(昭和15年)11月 1944年(昭和19年)5月
9 小笠原伊太郎 1944年(昭和19年)5月 1946年(昭和21年)11月
10 志田弥太郎 1947年(昭和22年)4月 1951年(昭和26年)4月 決選投票実施
11 白幡多一郎 1951年(昭和26年)4月 1955年(昭和30年)7月 豊浦村廃止

産業

主な産業は漁業である。1915年には郡全体の33%の漁獲量を占めていた[17]。沿岸ではタコイカなどが獲れた[18]。地先で漁業を行う者だけでなく、出稼漁業として北海道の鱈漁・ニシン漁青森県のイカ漁を行う者もいた[19]。1920年時点での漁業を行う戸数は以下の通りである[20]

  • 三瀬:317戸中 54戸
  • 由良:238戸中 158戸
  • 小波渡:151戸中 93戸
  • 堅苔沢:116戸中 60戸

三瀬では農業を行う戸数が最も多く、1920年時点では317戸中94戸が農作を行っていた[20]。主な作物は、大根白菜馬鈴薯茄子甘藷など[21]

1946年2月には三瀬に製塩工場が完成し、3月から製塩が始まったが、1949年3月に中止された[22]

交通

鉄道路線

乗合馬車

明治から大正初期まで、当村と鶴岡町を結んでいた。到着や出発を知らせるラッパの「トテートテー」という音から「トテ馬車」と呼ばれていた。[23]

道路

現在は旧村域に日本海東北自動車道三瀬インターチェンジが所在するが、当時は未開通。

施設

医療機関

1922年時点[24]

  • 伊藤医院(三瀬)
  • 竹内医院(三瀬)
  • 浦川医院(小波渡)

学校

1953年時点では、小学校の学級数は3校合わせて25組、児童数は3校合わせて945人であった[25]

  • 豊浦村立三瀬小学校[26]
  • 豊浦村立小堅小学校[27]
  • 豊浦村立由良小学校[28]
  • 豊浦村立豊浦中学校 - 三瀬小学校に併設[29]。1953年時点での学級数は10組、生徒数は445人[25]
  • 山形県立温海高等学校豊浦分校 - 三瀬小学校に併設[30]

郵便局

名所

脚注

  1. ^ 『豊浦の歴史』455頁。
  2. ^ 『続 豊浦地域史資料』205-207頁。
  3. ^ 『続 豊浦地域史資料』212頁。
  4. ^ 「司法省告示第四十八號」『官報』1942年12月08日”. 国立国会図書館デジタルコレクション. 2025年2月15日閲覧。
  5. ^ 『豊浦の歴史』593頁。
  6. ^ 『豊浦の歴史』591-593頁。
  7. ^ 『豊浦の歴史』452,477頁。
  8. ^ a b 『豊浦の歴史』582頁。
  9. ^ 『豊浦の歴史』974頁。
  10. ^ a b 『豊浦の歴史』792頁。
  11. ^ 『豊浦の歴史』3頁。
  12. ^ 山形県知事室企画課 (1955年3月). “山形県統計年鑑(昭和28年)” (xls). 1.市町村別年次別世帯数・人口. 山形県. 2025年4月14日閲覧。
  13. ^ 『続 豊浦地域史資料』205頁。
  14. ^ a b c 『豊浦の歴史』701-702頁。
  15. ^ 昭和21年当時の地方公共団体の長の決選投票制度について”. 法務省. 2025年2月21日閲覧。
  16. ^ 『豊浦の歴史』459頁。
  17. ^ 『豊浦の歴史』968頁。
  18. ^ 『豊浦の歴史』666頁。
  19. ^ 『豊浦の歴史』548,625-626,665,753頁。
  20. ^ a b 『続 豊浦地域史資料』92頁。
  21. ^ 『続 豊浦地域史資料』176-179頁。
  22. ^ 『豊浦の歴史』972-973頁。
  23. ^ 『豊浦地域史資料』197頁。
  24. ^ 『豊浦地域史資料』196頁。
  25. ^ a b 山形県知事室企画課 (1955年3月). “山形県統計年鑑(昭和28年)” (xls). 23.市町村別小学校・中学校. 山形県. 2025年4月14日閲覧。
  26. ^ 『豊浦の歴史』761頁。
  27. ^ 『豊浦の歴史』763頁。
  28. ^ 『豊浦の歴史』765頁。
  29. ^ 『豊浦の歴史』766-769頁。
  30. ^ 『豊浦の歴史』771-772頁。
  31. ^ 『豊浦の歴史』613頁。

参考文献

関連項目




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