加茂町 (山形県)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/10/19 14:17 UTC 版)
| かもまち 加茂町 |
|
|---|---|
| 廃止日 | 1955年7月29日 |
| 廃止理由 | 編入合併 鶴岡市、田川村、豊浦村、上郷村、加茂町 → 鶴岡市 |
| 現在の自治体 | 鶴岡市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 | |
| 地方 | 東北地方 |
| 都道府県 | 山形県 |
| 郡 | 西田川郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 総人口 | 7,287人 (国勢調査、1950年) |
| 隣接自治体 | 酒田市 西田川郡大山町、豊浦村、上郷村、西郷村[1] |
| 加茂町役場 | |
| 所在地 | 山形県西田川郡加茂町 |
| 座標 | 北緯38度45分36秒 東経139度44分07秒 / 北緯38.75994度 東経139.73528度座標: 北緯38度45分36秒 東経139度44分07秒 / 北緯38.75994度 東経139.73528度 |
| ウィキプロジェクト | |
加茂町(かもまち)は、山形県西田川郡にあった町。現在の鶴岡市にあたる。本項では町制前の名称である加茂村(かもむら)についても述べる。
地理
- 海洋:日本海
- 山:荒倉山、高館山
- 台地:加茂台地
歴史
町名の由来
当町にある「加茂港」は、昔「顔港」[2]「顔の湊」[3]と呼ばれており、そこから転じて「加茂港」の名が付いた。『加茂港史』では、京都の加茂と関係があるのではないかと推測しているが、定かではない[2]。
昭和の大合併
加茂町は昭和の大合併の際に鶴岡市への合併か酒田市への合併かで大きく揉めた。主に北部(大字湯野浜・宮沢・
他村からの合併反対
西田川郡上郷村は、当町の漁業不振と観光面の不安により経費支出が多くなることから、当町との合併を避けたい考えであった[6]。豊浦村では、1954年(昭和29年)の世論調査によると、加茂町との単独合併は絶対に避けるべきとの声が圧倒的に多かった[5]。大山町では、山形県から当町との合併についての
鶴岡市合併までのうごき
加茂町では、他町村から合併反対を受けていること、酒田市に宿泊地が少なく合併されれば湯野浜温泉が発展しそうなこと、すでに港湾を有している酒田市の方が当町の港湾修繕に理解がありそうなことから、1955年(昭和30年)1月の町議会では、満場一致で酒田市合併の申し入れが議決された[5]。酒田市は、当初距離の遠さから慎重な考えであったものの、酒田市商工会議の賛成をきっかけに、合併賛成派が増加した[8]。1955年2月1日・3月7日には酒田市合併賛成者を中心とした町民が酒田港や大浜工業地帯などを視察し、より酒田市合併欲を高めた[9][10]。
一方、加茂商工会や松木侠鶴岡市長・鶴岡市議会議長は鶴岡市への合併を望んでいた[11]。1955年3月には、山形県から加茂町・鶴岡市・酒田市に対し「冷却期間をおいて状勢を静観してもらいたい」と勧告書を送り、加茂町は酒田市合併案を取り消した[5]。
1955年3月22日には、町議会議員を含む住民200人が酒田市役所を訪れ、「分町しても酒田市と合併する」と本間重三酒田市長に伝えている日に、町議会では鶴岡市合併が議決された[12]。湯野浜温泉組合長は、湯野浜側からの議員が2人しか出席していないときに決めたこと、冷却期間を置かずに決めたことから「暴力的議決」と反発した[12]。
1955年4月から5月にかけて、町民から町議会解散の署名運動が行われたが、法定数(有権者の3分の1)に17票足らず、無効となった[13]。
1955年7月29日に、加茂町は全域が鶴岡市に合併された[14]。
鶴岡市合併後の住民投票
鶴岡市合併後も、大字湯野浜・宮沢・
1955年8月20日に投票された鶴岡市議会議員追加選挙では、大字湯野浜は有権者1,892人中投票数868票(46パーセント)、大字宮沢は有権者168人中投票数2票(1.2パーセント)、大字
1957年(昭和32年)に入り、安孫子藤吉山形県知事は住民投票を行うことが適当であると認めたが、鶴岡市長は住民投票を容認せず、鶴岡市選挙管理委員長も「住民感情激化の現状においては、公正な住民投票の執行は不可能である」と住民投票を認めなかった[16]。
1957年6月22日からは、住民投票を実施しないことを受けて、湯野浜を中心とした小学生・中学生計413人の同盟休校を実施した[17]。華山親義山形県副知事と山形県教育長が現地で説得させ、6月27日に登校を再開した[17]。また、同年には暴力による紛争も起こった[17]。
1958年(昭和33年)1月には自治庁も議決や住民投票による早期解決を要請したが、鶴岡市議会は要請を拒否した[18]。1958年3月には、新市町村建設促進法第27条第5項の規定により、山形県知事から鶴岡市選挙管理委員会に対して、住民投票を行うよう請求した[19]。これに対し、3月28日、鶴岡市と鶴岡市選挙管理委員会は、山形県知事に対して、行政処分無効確認と住民投票の執行停止命令の請求を山形地方裁判所へ訴えた[19]。4月14日、裁判長から却下を言い渡されたことにより、住民投票を行うことが決まった[19]。4月20日、大字湯野浜・宮沢・
年表
- 1833年12月7日(天保4年旧暦10月26日) - 庄内沖地震により7メートル以上の津波を受ける[21]。
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、加茂村、今泉村、湯野浜村、
金沢 村、油戸 村、宮沢村の区域をもって加茂村が発足[22]。 - 1890年(明治23年)10月27日 - 加茂村が町制施行して加茂町となる[23]。
- 1955年(昭和30年)7月29日 - 鶴岡市に編入、同日加茂町廃止[14]。
人口
地名
大字内の箇条書きは小字の名前を示す。
大字加茂
小字:加茂・岩倉・大崩・坂ノ下・清水平・弁慶沢[25]
大字油戸
小字:
大字今泉
小字:今泉・内山沢・大久保・真台[25]
大字金沢
読みは「かねざわ」。地名の由来に、洗濯のために沢へ行った女性が金塊を見つけたためという説がある[26]。
大字宮沢
-
小沢 ()- 日本海に接している[29]。 -
小山腰 () - つなは山という小さな山の腰(山麓)にあることから名付けられた[28]。 -
秋原山 ()- 標高162メートルの同名の山の周辺に位置する[28]。 - 大石沢[28]
大字湯野浜
- 浜泉 - 湯野浜の中心地[30]。
- 稲荷幡 - 満光稲荷神社に由来する地名[30]。
-
石上 ()- 大字宮沢に接している。『湯野浜の歴史 -開湯伝説から九〇〇年-』328頁では、温泉街の上区と下区の境にある大きな岩の上(南)にあることから名付けられたと推察している。 -
笹立 ()- 標高179メートルの笹子山(笹古山)周辺に位置する[31]。
産業
古くは北前船の寄港地として栄えており、北海道をはじめとした各地からの輸出入に関わる産業があったが[32]、羽越本線が全線開業した1924年以降は、商港としての機能は収束していった[33]。
農業戸数は1953年時点で185戸、うち専業農家は6戸であった[34]。
漁業従事者数は1954年時点で664人であった[35]。漁獲高は1933年時点で19,177円、そのうち鮭が6,300円、鱒が5,100円であった[36]。
1947年10月には三菱鉱業の
行政
歴代町村長
| 代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | 松井三十郎 | 1889年(明治22年)4月1日 | 村制施行・町制施行 | |
| 2 | 山田義民 | 1893年(明治26年)7月12日 | 1896年(明治29年)5月31日 | |
| 3 | 村井良慶 | 1896年(明治29年)8月27日 | 1897年(明治30年)5月31日 | |
| 4 | 須貝元良 | 1897年(明治30年)9月10日 | 1898年(明治31年)5月30日 | |
| 5 | 新田義比 | 1898年(明治31年)9月13日 | 1899年(明治32年)8月13日 | |
| 6 | 1899年(明治32年)8月14日 | 1903年(明治36年)7月13日 | ||
| 7 | 石原啓介 | 1903年(明治36年)7月13日 | 1907年(明治40年)5月21日 | |
| 8 | 鈴木重光 | 1907年(明治40年)6月20日 | 1911年(明治44年)6月19日 | |
| 9 | 松山真中 | 1911年(明治44年)6月20日 | 1915年(大正4年)7月12日 | |
| 10 | 1915年(大正4年)7月13日 | 1919年(大正8年)6月12日 | ||
| 11 | 秋野淳蔵 | 1919年(大正8年)10月27日 | 1923年(大正12年)10月26日 | |
| 12 | 1923年(大正12年)10月27日 | 1927年(昭和2年)10月29日 | ||
| 13 | 尾形作太郎[39][注 2] | 1927年(昭和2年)11月12日 | 1929年(昭和4年)7月11日 | |
| 14 | 田中栄太郎 | 1929年(昭和4年)7月23日 | 1933年(昭和8年)7月22日 | |
| 15 | 飛塚虎次 | 1935年(昭和10年)8月29日 | 1939年(昭和14年)8月19日 | |
| 16 | 秋野淳蔵 | 1939年(昭和14年)8月31日 | 1941年(昭和16年)9月25日 | |
| 17 | 1941年(昭和16年)10月15日 | 1944年(昭和19年)10月16日 | ||
| 18 | 大屋雄三 | 1944年(昭和19年)11月25日 | 1946年(昭和21年)10月24日 | 疾病により退任[40] |
| 19 | 佐藤与次兵衛 | 1947年(昭和22年)4月5日 | 1951年(昭和26年) | 初の公選町長[40] |
| 20 | 1951年(昭和26年) | 1954年(昭和29年)11月6日 | 在任中に死去[41] | |
| 21 | 石名坂恒吉 | 1954年(昭和29年)12月23日 | 1955年(昭和30年)7月28日 | 加茂町廃止 |
湯野浜自治町役場
昭和の大合併の騒動を受けて、1955年6月21日から、湯野浜温泉組合事務所に設置された湯野浜自治町役場で事務が行われた[42]。自治町長は奥山善九郎[43]。
水道事業
この項目の出典:[44]
町営で水道を設置していた。水源は地下水。給水人口は1954年時点で1,648人。
教育
小学校
1953年時点[45]
- 学校数:本校1校、分校2校
- 学級数:24組
- 児童数:1,009人
中学校
交通
鉄道路線
道路
寺院・神社
- 竜宮寺
- 縁起 857年(天安2年)7月 真言宗[47]
- 庄内三十三観音第25番札所[48]
- 極楽寺
- 起源 建久年間 曹洞宗[47]
- 寺宝宝篋印塔並びに五輪塔は、1951年に山形県重要文化財へ指定された[49]。
- 少林寺
- 起源 1338年(暦応元年) 曹洞宗[50]
- 安養寺
- 開基 1596年(慶長元年) 浄土宗[50]
- 白蓮寺
- 開基 1642年(寛永19年)5月 曹洞宗[51]
- 常福寺
- 開基 1630年(寛永7年)7月 日蓮宗[50]
- 浄禅寺
- 開基 1672年(寛文12年)4月 浄土真宗[51]
- 海印寺
- 開基 慶長年間 曹洞宗
- 春日神社
- 865年(貞観7年)[要出典]に大和国春日大社より勧進
- 熊野神社
- 1187年(文治3年)に出雲国より勧進[要出典]
観光スポット
脚注
注釈
- ^ 加茂地区全体の投票率は62.6パーセント(%)であった。また、田川地区の投票率は96.1 %、上郷地区の投票率は89.3 %、豊浦地区の投票率は80.1 %であった。
- ^ 『湯野浜の歴史 -開湯伝説から九〇〇年-』369頁には「尾形新太郎」とあるが誤りか。
出典
- ^ 山形県郷土研究会 編『山形県地名録』郁文堂書店、1966年11月15日、新旧対照合併図表。NDLJP:3013702。
- ^ a b 『加茂港史』9-10頁。
- ^ 岸本宗道『荘内案内記 西田川郡之部』1913年7月1日、50頁。NDLJP:932566。
- ^ 斎藤正一『鶴岡商工会議所五十年史』鶴岡商工会議所、1987年11月、339頁。NDLJP:13061235。
- ^ a b c d 『荘内史料集21 鶴岡市史資料篇 新聞で見る鶴岡 大正昭和』560頁。
- ^ 『荘内史料集21 鶴岡市史資料篇 新聞で見る鶴岡 大正昭和』543頁。
- ^ 斎藤正一『鶴岡商工会議所五十年史』鶴岡商工会議所、1987年11月、338頁。NDLJP:13061235。
- ^ 『山形県議会八十年史〔IV〕昭和後篇』712頁。
- ^ 『荘内史料集21 鶴岡市史資料篇 新聞で見る鶴岡 大正昭和』556頁。
- ^ 『山形県議会八十年史〔IV〕昭和後篇』713頁。
- ^ 『荘内史料集21 鶴岡市史資料篇 新聞で見る鶴岡 大正昭和』556,560頁。
- ^ a b 『荘内史料集21 鶴岡市史資料篇 新聞で見る鶴岡 大正昭和』561頁。
- ^ 『荘内史料集21 鶴岡市史資料篇 新聞で見る鶴岡 大正昭和』562,566頁。
- ^ a b 豊浦の歴史刊行会 編『豊浦の歴史』2003年4月10日、792頁。国立国会図書館書誌ID:000004093522。
- ^ a b 『荘内史料集21 鶴岡市史資料篇 新聞で見る鶴岡 大正昭和』571頁。
- ^ 『山形県議会八十年史〔IV〕昭和後篇』716-717頁。
- ^ a b c 『山形県議会八十年史〔IV〕昭和後篇』717頁。
- ^ 『山形県議会八十年史〔IV〕昭和後篇』717-718頁。
- ^ a b c 『山形県議会八十年史〔IV〕昭和後篇』718頁。
- ^ 『山形県議会八十年史〔IV〕昭和後篇』711,718頁。
- ^ 羽鳥徳太郎「天保4年(1833)山形沖地震とその津波の規模」『地震 第2輯』第43巻、1990年、229-230頁、2025年10月7日閲覧。
- ^ 『山形県郡市町村沿革録 補訂版』37頁。
- ^ 『山形県郡市町村沿革録 補訂版』42頁。
- ^ 山形県知事室企画課 (1955年3月). “山形県統計年鑑(昭和28年)” (xls). 1.市町村別年次別世帯数・人口. 山形県. 2025年4月14日閲覧。
- ^ a b c 山形県郷土研究会 編『山形県地名録』郁文堂書店、1966年11月15日、266頁。NDLJP:3013702。
- ^ 平凡社地方資料センター 編「金沢村」『日本歴史地名大系第六巻 山形県の地名』平凡社、1990年2月26日、733頁。
- ^ 『湯野浜の歴史 -開湯伝説から九〇〇年-』336頁。
- ^ a b c d 『湯野浜の歴史 -開湯伝説から九〇〇年-』329頁。
- ^ 『湯野浜の歴史 -開湯伝説から九〇〇年-』328,329,336頁。
- ^ a b 『湯野浜の歴史 -開湯伝説から九〇〇年-』328頁。
- ^ 『湯野浜の歴史 -開湯伝説から九〇〇年-』331頁。
- ^ 『加茂港史』161-162頁。
- ^ 『加茂港史』236頁。
- ^ 山形県知事室企画課 (1955年3月). “山形県統計年鑑(昭和28年)” (xls). 5.専兼業別農家数. 山形県. 2025年4月14日閲覧。
- ^ 山形県知事室企画課 (1955年3月). “山形県統計年鑑(昭和28年)” (xls). 8.海面漁業(3)従事者数別経営体数・従事者数. 山形県. 2025年4月14日閲覧。
- ^ “山形県統計年鑑(昭和8年)” (xls). 第14表 沿岸漁獲物ノ1. 山形県. 2025年4月14日閲覧。
- ^ 『荘内史料集21 鶴岡市史資料篇 新聞で見る鶴岡 大正昭和』442頁。
- ^ 『湯野浜の歴史 -開湯伝説から九〇〇年-』369頁。
- ^ 『荘内史料集21 鶴岡市史資料篇 新聞で見る鶴岡 大正昭和』167頁。
- ^ a b 『湯野浜の歴史 -開湯伝説から九〇〇年-』247頁。
- ^ 『荘内史料集21 鶴岡市史資料篇 新聞で見る鶴岡 大正昭和』549頁。
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- ^ 山形県知事室企画課 (1955年3月). “山形県統計年鑑(昭和28年)” (xls). 13.水道. 山形県. 2025年4月14日閲覧。
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- ^ 『荘内史料集21 鶴岡市史資料篇 新聞で見る鶴岡 大正昭和』479頁。
- ^ a b 『加茂港史』17-18頁。
- ^ “明石山 龍宮寺(単立 天台宗)/ 庄内三十三観音 第25番”. やまがた庄内観光サイト. 2025年5月2日閲覧。
- ^ 『加茂港史』19頁。
- ^ a b c 『加茂港史』18-19頁。
- ^ a b 『加茂港史』18,20頁。
- ^ 『荘内史料集21 鶴岡市史資料篇 新聞で見る鶴岡 大正昭和』206頁。
- ^ 『荘内史料集21 鶴岡市史資料篇 新聞で見る鶴岡 大正昭和』525頁。
参考文献
- 角川日本地名大辞典 6 山形県
- 工藤定雄、秋野庸太郎 編『加茂港史』加茂郷土史編纂委員会、1966年11月3日。NDLJP:3008966。
- 『山形県議会八十年史〔IV〕昭和後篇』山形県議会、1972年3月25日。NDLJP:3043091。
- 山形県 原編『山形県郡市町村沿革録 補訂版』山形県郷土文献刊行会、1978年11月8日。NDLJP:9569986。
- 鶴岡市史編纂会 編『荘内史料集21 鶴岡市史資料篇 新聞で見る鶴岡 大正昭和』鶴岡市、1984年10月31日。NDLJP:9571326。
- 山口壽、秋保良 編『湯野浜の歴史 -開湯伝説から九〇〇年-』湯野浜地区住民会、1994年5月30日。NDLJP:13197739。
関連項目
| 袖浦村 | 西郷村 | |||
| (日本海) | 大山町 | |||
| 豊浦村 | 上郷村 |
- 加茂町_(山形県)のページへのリンク