讃岐香川氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/21 02:03 UTC 版)
讃岐国西部を本貫地とする武家。 鎌倉権五郎景政を祖とする。香川直系の家紋は、九曜巴(桓武平氏良茂流)。相模の香川氏(桓武平氏良文流と称する鎌倉党の鎌倉権六郎景秀の後裔)、権六郎景秀(鎌倉権五郎景政の子、または孫(子の景継の子)景政の弟の3説)権六郎景秀の後は、相模介家政が高座郡にあった大庭荘の香川村(現茅ヶ崎市北部の大字)に住み、地名に因み香川権大夫と号した。 南北朝時代以降細川氏に従い、白峰合戦での戦功により安富氏とともに讃岐国に入部。代々守護代をつとめ、応仁の乱で活躍し、細川四天王の一人に数えられるようになる。その後、讃岐国内で勢力を広げ、戦国時代には讃岐国の西部の大半を支配するほどであった。 戦国時代の後期の当主香川之景は、毛利元就、織田信長、長宗我部元親と周囲の有力勢力に次々と接近し、織田信長の偏諱を賜り信景と改名。土佐国の長宗我部氏が勢力を拡大してくると長宗我部元親の次男、親和を養子に迎える等、所領の確保に努めたが、天正13年(1585年)、豊臣秀吉が行った四国征伐の際改易となった。
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