講解説教に専念していた
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/23 14:04 UTC 版)
「チャールズ・シメオン」の記事における「講解説教に専念していた」の解説
シメオンは講解説教を普及させた人物だと言われている。彼のライフ・ワークは21巻に及ぶHorae Homileticaeであるが、その中の2536の説教概略が出版されている。 彼は説教することに困難を感じていた。一つの説教を完成するのに少なくても12時間はかけたそうだ。 当時、説教の多くが、会衆を楽しませるためのものか、神学的な論文のようなものだった。しかし、シメオンは、説教の中心的教えと内容のみならず、説教の構成とスタイルまでもが聖書箇所の内容によって決められると主張した。ちなみに彼は次世代の説教者たちに、説教の仕方と、説教には準備の仕方があるということを教えた。 「私が努めていることは、聖書の中から、そこにあるものを引き出すことであり、私がそこにあるだろうと思うものを割り込ませることではありません。そのことについて、私は細心の注意を払っているのです。自分の解き明かす聖句の中にあると信じる聖霊の御思い以外のことは、決して何も語らないようにと。」 神学生へのアドバイスとして: 「(説教者は)聖書箇所そのものが語るように語らなければならない。 例えば、今日は情熱的に、明日は説得するように、というふうに。説教者は、準備の段階で聖書箇所を自らの中に取り込み、講壇で、その聖書箇所ならではの説教をすべきである。」. ただし、神学的に聖書箇所に忠実なだけでは足りない。分かりやすさも必要不可欠である。 「一貫した主旨、明解な構成、平易な言葉遣い」. A 一貫した主旨 準備する時、考えなければならないこと: 「その聖書箇所の中心的な考えと意味は何か…それを確認し、それをまったく反映しない事柄は、説教のどの部分にも入れてはなりません。」 . B 明解な構成 2つないし3つのポイントから成る説教が普通である。それらのポイントはどれも、中心的な教えを支えるものでなければならない。 シメオンはある清教徒の説教の中に「第65番目に…」という文を読んで、「いったい誰がその前の64のポイントを覚えられるのか」と苛立ったそうだ。 C 平易な言葉遣い 当時の説教の多くは、牧師の知識をひけらかす機会とされていた。 シメオンは「説教者が語れることではなく、聞き手が理解できることを説きなさい」[誰によって?]と勧めている。 「(シメオンは)難しいことをいかに易しく語るかに心をくだいていた」[誰?]と副牧師が言っている。 シメオンは彼のすべての説教に共通する3つの目的を説明している。それは「罪人をへりくだらせ、救い主を崇め、聖化を進めることである。」 シメオンの模範に端を発した現存の団体。米国 - 「Charles Simeon Trust」、「Simeon Course on Biblical Exposition」 英国 - The Proclamation Trust
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