諸藩の用人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/26 18:47 UTC 版)
江戸時代初期には、用人職を設置しない、または同じ業務内容で別の役職が存在する藩も珍しくなかったが、『用人』とは別の呼称で呼んでいて、後に『用人』と改称する藩が出てくるなど、泰平の世となり、いわば事務屋・連絡役・折衝役としての性格を持つ用人は、多くの諸藩に設置されるようになり、武鑑では全国諸藩において用人を掲載しており、仙台藩や米沢藩、萩藩などの用人職がない藩は用人相当職を用人として掲載している。また、側用人と未分化の藩も存在した。 大きな藩では、用人の地位は重臣とは言えず、藩主・老職などの公的な用向きを関係方面に伝えて、折衝して庶務を司ることを役目とする。小さな藩では、用人は家老に次ぐ重臣であって、家老の職務全般を補佐していることが多い。時には用人身分のままで加判の列に加わることもあった。但し、江戸時代中期以降は財政難の為か大きい藩においても物頭や番頭、江戸留守居が用人を兼務するところもあり、藩によっては物頭用人や番頭用人、小姓頭用人が存在する場合もある。 用人の地位は、全国諸藩においてまちまちであるが、大雑把に云って、大藩であるほど上級家臣の中でその地位は相対的に高くなく、小藩であるほどその地位は相対的に高い傾向があることは疑いがない。諸藩の用人は、いずれも馬上を許された上級家臣である。また、諸藩に仕えたの高禄の重臣は、その家臣として陪臣身分となる用人を召し抱えていた。 一部の藩では藩校の校長や助教授に用人職や用人格を兼務させており、用人として武鑑に記載される場合もあった。例えば米沢藩の神保綱忠や飫肥藩の安井息軒がこれにあたる。
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