語義の拡大
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 07:43 UTC 版)
上横手雅敬によると、日本人は判官贔屓という言葉の成立前から、伝統的に同様の感情を抱いてきた。池田弥三郎はそうした感情を、「弱い者いじめの反対、つまり、弱きを助け強きをくじくという言動に対しては、無批判にかっさいを送ろうとする心理」と定義し、「弱者の位置に立たされたものに対しては、正当の理解や冷静な批判をかいた、かなり軽率な同情という形をとる」と説明している。池田によると、「判官贔屓」という言葉は江戸時代初期にはすでに、源義経に対する同情を超えて、「一般に、弱い立場に置かれている者に対しては、敢えて冷静に理非曲直を正そうとしないで、同情を寄せてしまう」心理現象を指すようになっていた。なお、奥富敬之は第一義の判官贔屓についても、人々は贔屓の感情を次第に肥大化させ、歴史的事実に基づいた客観的なものの見方を欠くようになり、ついには短絡的に義経を正義、頼朝を冷酷・悪ととらえるに至ったと指摘している。 池田によると、弱者に対し理非を問わずに同情しようとする心理が一般に「判官贔屓」という言葉で表現されるようになったのは、義経の伝記が人々の間に、一般的な知識として広く知れ渡っており、かつその伝記の内容が人々の義経に対する同情を呼び起こすものであったからである。その際に義経の伝記が史実に基づく必要は必ずしもなく、むしろ「民衆の心をその方向に引き出すように再編成され、しかもその民衆の同情にピタリとはまるように再編成されたもの」であることが重要であった。
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