語義の変遷と論争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 20:45 UTC 版)
1990年代にアメリカのろう文化が日本に広く紹介される以前には、医学的な観点から見た「ろう」という分類が一般的であった為、中途失聴者であっても「自分はろうである」と考える人が存在した。しかし、1997年に木村晴美と市田泰弘が雑誌『現代思想』において発表した「ろう文化宣言」においては、『ろう者とは、日本手話という、日本語と異なる言語を話す、言語的少数者である』という文化的・言語的側面からの「ろう」の定義がなされた。 これは手話を中心とするろう文化を積極的に評価するもので、日本手話による手話教育の契機となるなど評価を受ける一方、日本手話を用いない人をろう者から排除する急進的かつ排他的な主張であったため、日本手話を使用しないが自らを「ろう」と名乗っていた人々や、日本語対応手話の話者からの批判が行われた。 この論争は雑誌『現代思想』誌上での討論(筑波技術短期大学教官であった長谷川洋と、手話教師であった木村晴美による。司会は難聴児教育に長く個人として携わっていた上農正剛)にまで発展したが、双方の主張は噛み合わないままに終わった。結局この論争は立ち消えとなり、言語的・文化的観点から「ろう」「難聴」「中途失聴」に分ける考え方が定着していった。その過程では、木村らも当初の極めて急進的で排他的な主張をややトーンダウンさせたと言われている。
※この「語義の変遷と論争」の解説は、「ろう者」の解説の一部です。
「語義の変遷と論争」を含む「ろう者」の記事については、「ろう者」の概要を参照ください。
- 語義の変遷と論争のページへのリンク