語源と位置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/11 06:39 UTC 版)
黄金海岸は象牙海岸、奴隷海岸、胡椒海岸(穀物海岸)と同様に、その地の主要な輸出資源にちなんで名付けられた。 黄金海岸は象牙海岸の東、奴隷海岸の西に位置する。 しかし、この定義が最初から一貫していたわけではなかったようである。特に、ポルトガルが既に到達していたガンビア川でも(量は違うにせよ)金が得られていた。このため16世紀のポルトガル語と英語の文書では、この地方は、通常、「ミナ海岸」として言及される。おそらく、黄金海岸という用語は17世紀にオランダ人とともに登場した。1596年のBernardus Paludanus(別名Bernardus ten Brocke)に由来するギニアに関するの最古のオランダ語の記述(そして実際にはヤン・ホイフェン・ヴァン・リンスホーテンの旅を記述している)は、まだこの名について言及していない。しかし、シュヴァーベンのアンドレアス・ジョスア・ウルスハイマーは、オランダの船の船医として、1603年に黄金海岸にも航海した。この旅に関する彼の報告には次のような記述がある。 „Alldieweil ich nun den frühling zue Amsterdam zu brachte, waren von Genuesischer Compania zwey schif zu gericht, nachher Guinea auf die Goldkust zu fahren (welche in Africa ligt und ihren Anfang zu Capo Palmas 4 Grad von der Linea Equinoctiali nemet biß nachher kust Acora ob Monte), als in die 120 meilen sich erstreckht......Darnach seind wier immer fordt gesegelt, auf das C. de 3 puntas (gemeint ist das Kap der drei Spitzen), an welchem ort sich der recht Goldkust anhebt. Pieter de Marees(1601年にそこにいた)による別のレポートが1602年に登場した。17世紀の終わりまでに、黄金海岸の概念はより正確に定義されていた。それはおそらくこの地でのヨーロッパ勢力の領土争いによるものだったのだろう。 なお、黄金海岸という用語は、初期は文字通り海岸地帯を指す語で、内陸部は含まなかった。この語が海から遠く離れた地域をも指すようになったのは19世紀になってからだった。
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