証拠と逮捕
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/20 05:46 UTC 版)
「オーバ・チャンドラー」の記事における「証拠と逮捕」の解説
事件は3年以上も未解決のままだった。警察が得られた手掛かりの数が限られていたこともその原因の1つだった。最大の手掛かりがマデイラビーチ(英語版)警察の公報から寄せられた。その内容は、ロジャーズが殺害される2週間前に24歳のカナダ人旅行者が強姦されるという同様の事件が発生したというものだった。1992年9月24日にチャンドラーは殺人の容疑で逮捕された。ロジャーズの車の中から発見されたパンフレットにはチャンドラーが記した道案内のメモが残されていた。パンフレットにはロジャーズが書いたチャンドラーのボートについての記述もあった。この2つが主要な手掛かりとなり、チャンドラーは被疑者として浮上することとなった。地元警察はチャンドラーがパンフレットに残した手書きの筆跡の画像をタンパ湾地域の広告板に掲載した。これにより、チャンドラーの隣人だった人物が通報し、チャンドラーが書いた作業指示書のコピーを警察に届けることとなった。これがアメリカで当局が広告板を利用した初の事例であり、後に広告板は失踪者の捜索に有用な手段として利用されるようになった。 筆跡の分析では、2つの筆跡のサンプルは決定的に一致するという結果となった。別のチャンドラーの隣人や、捜査部隊の事務官は、チャンドラーは関連性があると見られる強姦事件の被疑者の似顔絵に似ているという見解を抱いた。パンフレットから見つかった掌紋もチャンドラーのものと一致した。チャンドラーは事件についての広告掲示が始まってからすぐにボートを売り払い、家族とともに町を去っていた 。1990年、テレビ番組のUnsolved Mysteries(英語版)でロジャーズたちが殺害された事件について特集された。その年、チャンドラーと当時の妻はタンパのダルトン・アベニューからデイトナビーチの近くのポートオレンジ(英語版)に引っ越した。
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