設立経緯に関する批判
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 09:25 UTC 版)
「ノーベル経済学賞」の記事における「設立経緯に関する批判」の解説
モスクワ発の辛辣なタブロイド紙として知られたThe eXile(英語版)は、本賞の設立経緯を問題視していた。まず、本賞が設立された1960年代において、スウェーデン国立銀行は経済改革の一環として市場の自由化を推進しようとしており、政治介入を防いで独立性を得ることに腐心していた。ノートルダム大学教授のフィリップ・ミロフスキによると、「この当時のスウェーデン中央銀行は民主的な説明責任から逃れようとしており、(中略)このため政治によらない何らかの科学的根拠を主張する必要が生じた」。このため新古典派の市場効率性の理論が着目され、経済を政治の手から放して大企業の営利活動に委ねようとする動きが生じていた。 経済学賞はこうした状況下で準備され、故意にノーベル賞と紛らわしい形で設立されたという。あるFRBの職員はこの様子を「スウェーデン国立銀行創立300周年にかこつけて、ノーベルに引っ掛けたマーケティング上の策略」(marketing ploy)とあけすけに形容している。選考委員長にはスウェーデンの右派経済学者でありシカゴ学派と繋がりのあるアサール・リンドベック(英語版)が任命され、以後30年に渡り続投した。賞が設立された当初の数年間は主流派や長老筋への授賞が続いたが、一旦賞の権威が確立されると、その後の受賞者は新古典派の右派に偏るようになり、それらの権威付けと科学的正当性を主張する根拠に利用されるようになった。過去の受賞者のほとんどが、中央銀行の支持する新古典派の経済学者である。
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