観頤荘
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 06:36 UTC 版)
佐賀藩3代藩主鍋島綱茂が造営した別邸とそれに伴う巨大庭園「観頤荘」は鬼丸町の西部と赤松町の南部とを含む東西約200m、南北約400m、面積約8万㎡の区域にあったと推定されている。城との往来が船で行えるよう水路で直結され、庭内の池には大型船が10隻以上浮かべられる余裕があった。2代藩主光茂が設立し、佐賀藩の学問の中心であった聖堂も移設されたほか、藩政をこの別邸で見ることもあった。しかし綱茂の死後まもなく敷地の一部が家臣に下賜されるなど縮小され、聖堂も10代藩主直正により弘道館に移された。水辺の護岸の石とわずかばかりの立ち木以外に現存するものはなく、非常に短期間のうちに姿を消した理由も財政難や綱茂に対する個人的感情など諸説あるが判然としていない。
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