見分パーティ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/23 04:34 UTC 版)
奥山廻りの実施は登山期の6月から8月に、通常は上奥山と下奥山で隔年に行われた。この実施者としては御用番から奥山廻り御用を申し渡された横目が派遣する横目足軽を選び、この横目足軽2名と御算用場から通達を受けた郡奉行から、奥山廻りあるいは奥山廻り加役として山廻り足軽数名とその年の山廻り役2名から4名があてられ、これに杣人足が10名程度加えられた。もちろん人数は随時変えられていて最初期には全体で数名程度だったものが、盗伐事件が続発するようになると杣人足が30人にもなり総勢40名にもなることがあった。 これら奥山廻り御用のパーティが入山しての行動は長い時には20日間にも及び、大量の食糧などを携行し、決まった場所に小屋掛したり野宿などで夜を過ごし、渡渉できない場所では橋を掛けたりといった大変なものであった。しかし困難な登山の間にも珍味である岩茸を採取したり岩魚を釣ったり兎や雷鳥を捕らえて料理している。 嘉永2年(1849年)、上奥山の温谷での野宿では横目方を招いて酒宴を開いている。このときの献立の記録では 吸物 鯨味噌 茄子相添 取肴 いなたきりめ 海老煎付 鮎の鮓(すし) 岩魚ノ作身(刺身) 酢物 岩茸ニ焼麩 はり生姜 飯代りひやし素麺 したし鰹だし 岩茸相添 と豪華なものであった。
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