下奥山
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/08/23 04:34 UTC 版)
越中と信濃、越後との国境をなす。 延宝6年(1678年)、大平村(現在の富山県下新川郡朝日町)から境川沿いに下駒ヶ嶽を往復。 享保11年(1726年)、大平村から下駒ヶ嶽へ登って越後との境目を見分し、次に黒部川から上駒ヶ嶽へ登り、鑓ヶ嶽へ登って信濃との境目見分。 寛政年間(1789年から1800年)に祖母谷に明礬が発見されるとルートが拡大した。 天保14年(1843年)、大平村からソヨナギノ丸山。蛭谷村(同)から北又谷、猫又谷、スノコ峰、祖母谷から餓鬼谷、後立山谷、猫又谷、蓮華山で境目見分。 弘化年間(1844年から1847年)になると境相立により境目見分の必要性は薄れたため、御林山の管理においては蓮華山までとして、後立山方面はその地形の険しさから必要に応じて見回るようになっていった。
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