要綱に並行する動向
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 21:12 UTC 版)
「猶太人対策要綱」の記事における「要綱に並行する動向」の解説
要綱とは別のところで、1938年11月以来、上海租界へのユダヤ難民流入が急増し、現地日本当局は現地ユダヤ社会から対策の要請を受ける1939年夏までの間、積極的に措置を講じなかったため、17000人がドイツを脱出することができた。また駐ベルリン満州国公使館書記官王替夫は1939年6月から、リトアニアの在カウナス領事館杉原千畝副領事は1940年7月から、ユダヤ避難民に通過ビザを大量に発給した。 杉原副領事に関して外務省の保管文書で確認できるところでは、1940年当時の日本において、「ユダヤ人に対しては一般の外国人入国取締規則の範囲内において公正に処置する」ことになっていたわけであるが、外務本省から指示されていた「通過査証は、行き先国の入国許可手続を完了し、旅費及び本邦滞在費等の相当の携帯金を有する者に発給する」というものに対して杉原副領事は、当該指示の要件を満たさない避難民に対しても通過ビザを発給したということである。
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