要職の歴任
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東京帝国大学教授を定年退職したあとも理化学研究所主任研究員として研究を続ける一方で、次の要職を歴任した。 1931年-1934年 初代大阪帝国大学総長 1934年-1947年 貴族院議員(帝国学士院会員議員) 1939年-1947年 日本学術振興会理事長 1939年-1948年 第13代帝国学士院院長 その間、1937年に第一回文化勲章を受章している。 長岡は1939年(昭和14年)、スウェーデンのノーベル委員会に湯川秀樹への授賞を推薦している。この推薦は第二次世界大戦を挟んだ10年後の1949年(昭和24年)に実り、湯川は中間子理論が認められて日本人初のノーベル賞(物理学賞)を受賞した。
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