西武モハ351形電車
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 00:26 UTC 版)
西武モハ351形電車(せいぶモハ351がたでんしゃ)は、かつて(1960年~1965年)西武鉄道に在籍した、日本国有鉄道(国鉄)よりクモハ14形100番台の払い下げを受けて導入した全長17m2扉構造の電車である[2]。
|
注釈
- ^ a b MT7・MT10・MT15のいずれかであるが、同一の性能特性を持つこれらの主電動機は西武鉄道において共通品として混用されていたことから、車両ごとの主電動機搭載状況を特定することは困難であった[要出典]。
- ^ 西武鉄道は1952年(昭和27年)10月にクモハ14形100番台の前身であるモハ62形62001の払い下げを受けているが、同車は1950年(昭和25年)8月に落雷事故により被災焼失し廃車となったものであり、払い下げ後は復興社保谷車両工場(後の保谷車両管理所)において国鉄モハ50形(後のクモハ11形400番台)と同等の車体を新製しモハ311形319として復旧された。従ってクモハ14形100番台(モハ62形)をそのまま導入した例としては本形式が初となった[要出典]。
- ^ 西武鉄道における車両番号(以下「車番」)付与基準は運転台の向きによって車番末尾の奇数・偶数を厳密に区分する方式を採用しており、同車は池袋・本川越方に運転台を有する偶数向きの車両であったことから、本形式は1形式1両のみの存在であったにも関わらずモハ351を欠番として「モハ352」を称した[要出典]。後年本形式がクモハ251形(3代)へ改称された際に「クモハ252」を称した理由も同様である[要出典]。
- ^ 『西武鉄道の国鉄電車』久保敏 (1992) p.87において制御車代用当時の記録(1961年9月)が、『西武鉄道車両カタログ』佐藤利生 (1992) p.175において電動車復帰後の記録(1962年2月)がそれぞれ残されており、同期間中に電動車化改造が実施されたものと推定される[独自研究?]。
- ^ ただし、前掲『西武鉄道車両カタログ』佐藤利生 (1992) p.175において、住友製鋼所製のKS33L台車を装着した同車が記録されており、また前掲『西武鉄道の国鉄電車』久保敏 (1992) p.87および『西武鉄道 列車・運転の記録』鉄道ピクトリアル編集部 編 (1992) p.74においてはTR14台車を装着する同車が記録(1963年12月)されていることから、電動車化改造前後に最低二度台車交換が実施されたものと推定される[独自研究?]。
出典
- ^ a b 酒井英夫・今城光英・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 終」 (1970) p.69
- ^ a b c d 益井茂夫 「私鉄車両めぐり(39) 西武鉄道 2」 (1960) p.44
- ^ a b 今城光英・酒井英夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.82
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 今城光英・酒井英夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.84
- ^ a b c d e f g 沢柳健一 「鋼体化モハ50系と62系」 (2002) pp.52 - 53
- ^ a b c d e f g 園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) p.159
- ^ a b c 今城光英・酒井英夫・加藤新一 「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 3」 (1970) p.77
- ^ a b c d 『私鉄電車のアルバム 別冊A 荷物電車と電動貨車』 (1979) pp.42 - 43
- ^ a b c 佐藤利生 「西武鉄道車両カタログ」 (1992) p.175
- ^ 鉄道ピクトリアル編集部 「西武鉄道 列車・運転の記録(回顧編)」 (1992) p.74
- ^ a b 久保敏 「西武鉄道の国鉄電車」 (1992) p.87
- ^ 『私鉄電車のアルバム 別冊A 荷物電車と電動貨車』 (1979) pp.336 - 337
- ^ 『RM LIBRARY31 所沢車輌工場ものがたり(下)』 (2002) p.40
- ^ a b 園田政雄 「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 (1992) p.158
- 1 西武モハ351形電車とは
- 2 西武モハ351形電車の概要
- 3 主要機器
- 4 参考文献
固有名詞の分類
- 西武モハ351形電車のページへのリンク