西川幸男とは? わかりやすく解説

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西川幸男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/05 18:06 UTC 版)

にしかわ ゆきお

西川 幸男
『婦人生活』第20巻第3号(1966年)掲載写真より
生誕 1925年7月15日
日本 千葉県
死没 (2012-12-26) 2012年12月26日(87歳没)
職業
肩書き
配偶者 五月みどり(元妻、1971年離婚)
子供
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西川 幸男(にしかわ ゆきお、1925年7月15日 - 2012年12月26日)は、日本芸能プロモーター新栄プロダクション創業者、馬主千葉県出身。

元妻は歌手の五月みどり(1965年結婚・1971年離婚)、子は歌手・新栄プロダクション社長の山田太郎(本名:西川賢)、プロゴルファー西川哲(哲の元妻は女優・タレントの菊池桃子)。

人物

初めは浪曲師志望で、木村友衛に師事したが[1]興行師に転身し、1945年に20歳で浪曲の興行会社「西川興行社」を創業。1949年に村田英雄を自社に迎えて育て上げた。また、若手浪曲家(木村力衛、玉川次郎、春日井小梅鴬、中村冨士夫、大木伸夫)なども育て上げた。

1958年に西川興行社を発展改組して「新栄プロダクション」を設立した後、北島三郎新川二朗五月みどり二宮ゆき子十勝花子大月みやこ木村友衛小松みどり藤圭子西川峰子細川たかし西尾夕紀らのマネジメントも行った[2]1985年、社長職を息子の山田太郎(賢)に譲り、自らは会長に就任した[3]

また西川は馬主としても知られ、ウエスタンダッシュ(1974年京成杯、1975年日刊スポーツ賞金杯などJRA25戦5勝)などを所有し、北西牧場(ウエスタンファーム)を創業して競走馬生産なども手掛けるオーナーブリーダーとしても競馬界で活動した[4]

2012年12月26日午前5時2分、間質性肺炎のため87歳で死去[2]。没後にこれまでの功績を讃えられ、2013年度第55回日本レコード大賞特別功労賞が贈られた。

脚注

  1. ^ 新栄の歴史 新栄物語 第一話”. 新栄プロダクション. 2014年4月14日閲覧。
  2. ^ a b “村田英雄さん育ての親 西川幸男氏死去”. nikkansports.com. (2012年12月27日). オリジナルの2014年4月14日時点におけるアーカイブ。. https://archive.is/tK3G4 2014年4月14日閲覧。 
  3. ^ 新栄の歴史 新栄物語 第一話 page2”. 新栄プロダクション. 2014年4月14日閲覧。
  4. ^ “新栄プロ西川会長が死去…歌手数多く育てる(1/2ページ)”. SANSPO.COM. (2012年12月27日). オリジナルの2012年12月31日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20121231025432/http://www.sanspo.com/geino/news/20121227/oth12122705040006-n1.html 2014年4月14日閲覧。 

関連項目




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