西川幾
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/07 13:39 UTC 版)
西川 幾(にしかわ いく、 - 1905年(明治38年))は、尾張出身の名古屋西川流舞踊家。本名、織田いく。幾とも記される。初代西川鯉三郎を名古屋に招いた一番弟子で、1863年(文久3年)名取(苗字免許)第一号にして、名古屋西川流の柱であった[1][2]。養女は、西川嘉義(織田かぎ)。
- ^ 北見昌朗. “愛知千年企業 大正時代編 <コラム>日本国中を席巻した“名古屋美人””. 北見式賃金研究所/社会保険労務士法人北見事務所. 2022年7月4日閲覧。
- ^ 田中加代. “日本の伝統芸能における「芸」の伝承に関する教育思想史的考察 -日本舞踊家西川鯉三郎の芸道教育の系譜および特色をめぐって-”. 愛国学園短期大学. 2022年7月4日閲覧。
- ^ 名古屋市役所 1981, p. 418.
- ^ a b 長田若子 2012, p. 83.
- ^ a b 長田若子 2012, p. 63.
- ^ 長田若子 2012, p. 45.
- ^ 尾崎久弥 1971, p. 59.
- ^ a b 尾崎久弥 1971, p. 58.
- ^ a b 長田若子 2012, p. 73.
- ^ 尾崎久弥 1971, p. 57.
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