西ノ丸御殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 15:53 UTC 版)
本丸御殿と同じく、表・中奥・大奥としきられ、おもな部屋をあげれば、遠侍・殿上間・虎間・大広間・大廊下・溜間・白木書院・帝鑑の間・連歌の間・山吹間・菊間・雁間・竹間・芙蓉間・中間・桔梗間・焼火間・躑躅間・柳間・梅竹間・檜間・蘇鉄間などがある。 御殿や櫓などは1634年(寛永11年)、1852年(嘉永5年)、1863年(文久3年)の三度にわたって焼失した。1868年(明治元年)4月、朝廷に明け渡された当時の殿舎は、それまで踏襲してきた慶安度御殿の仕様を大幅に簡略した仮御殿であり、4度目の建築であった。 明治天皇が入城した後は天皇の住まい「皇城」となり、1869年にはオーストリア・ハンガリー帝国使節団を迎え、天皇との謁見の場としても利用された。当時の使節団は、皇城の詳細な見取り図を作成して本国へ伝えている。皇城は、1873年(明治6年)5月5日に焼失した。守備は西丸小姓組が行った。その後、1888年(明治21年)明治宮殿が建設された。 『江戸図屏風』に描かれている西ノ丸御殿 元治度西ノ丸仮御殿
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