袖志の伝承とは? わかりやすく解説

袖志の伝承

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 05:52 UTC 版)

穴文殊」の記事における「袖志の伝承」の解説

袖志では、『九世戸縁起』に描かれ文殊菩薩荒神(龍)のエピソードその後を、穴文珠創建あわせて次のように伝えている。 昔、袖志の海では悪竜暴れて人々苦しめていたが、僧侶経ヶ岬幾度も文珠真言唱えるうちに説教され、いずこかへ去った僧侶その後悪竜がよく入っていた岩窟入り、なにかを彫り始めた人々悪竜から救った僧侶に礼を述べ何を彫るのかと尋ねたところ、僧侶は「文珠真言唱えたら竜が理解してくれたので、文殊菩薩を彫る」と答え幾日昼夜をとわずに彫り続けた袖志人々1日3回交代岩窟入口まで僧侶のための食事運びながら、悪竜去って平和が戻った田畑世話や漁に明け暮れていた。ある晴れた日いつものように食事を運ぶと、石を彫る音が消えている。もしや僧侶倒れたのではと案じた村人洞窟中に入ってみると、僧侶彫りあげたぴかぴかと光輝く石像祀られていた。獅子の上文殊菩薩乗った姿であったその夜から翌朝にかけて、村の人々皆で岩窟集まって祈り捧げその後毎日だれかが参詣したという。 その後何十年かの月日流れたある日、海心という名の僧侶訪れ村人同じよう岩窟参詣して祈り捧げたその際、海心和尚石仏歳月で少し風化していることに気づき村人仏像このままにせず、どこかに寺を建てて祀ることを勧めた悪竜から守った僧侶が経を唱えたその場作ったものだから、動かすのはよくない考える人もいたが、説得受けて岩窟の上お堂建立した1609年慶長14年)のことであるという。大きな岩窟の上にあるので穴文殊堂と呼ばれるようになったが、ほんとうの名は「清涼山九品寺」という。だが、それを知る者は少ないという。

※この「袖志の伝承」の解説は、「穴文殊」の解説の一部です。
「袖志の伝承」を含む「穴文殊」の記事については、「穴文殊」の概要を参照ください。

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