行事としての印地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 02:17 UTC 版)
「石合戦」も参照 印地による紛争や行事は、印地、印地打ち、印地合戦、石うち、石合戦、向かいつぶて、向かいつぶて合戦などと呼ばれる。正月や5月5日に印地を行う行事が存在した。子供の遊びや慣習としても存在した。 例として、千葉県富浦町(現南房総市)・埼玉県寄居町・香川県三木町は5月5日、愛知県名古屋市の熱田神宮・岩手県遠野市・福島県平市(現いわき市)・栃木県足利市などは正月15日、その他、牛頭天王社は6月、7月に行う地域も見られるとされる。「豊凶を占う行事」としての性格も見られ、「勝った村の方が豊作になる」としていたり、「投石が水田にはね込むのを豊年の吉兆」とする。田植神事における小石は種の見立てと見られ、伊勢神宮の田遊びの次第が描かれた文書『建久三年皇太神宮年中行事』(1192年)では、5月下旬、神職が「御種(おたね)」と呼ばれる9個の小石を田にまく所作をした後、諸々の行い・祝言を伝え、最後に「年(とし)の実」と呼ばれる小石(収穫物のシンボル)を受け取る。 5月5日に大勢の子供が集まり、合戦をまねて二手に分かれて石を投げ合う行事は、大人たちもこれに参加していたが、負傷や死亡も相次いでいたという。近代は子供の遊びとなり、現代では廃れてしまっている。
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