藩邸・菩提寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 08:12 UTC 版)
上屋敷:愛宕ノ下大名小路(現在の新橋四丁目新虎通り(環二通り)南側)藩邸跡から50mほど離れた場所の日比谷通りの新橋四丁目交差点脇の東側歩道に、切腹した浅野長矩を偲ぶ「浅野内匠頭終焉之地」の石碑が21世紀に設置されている。 田村家では、長矩が収容された座敷のふすまを釘付けにする、また庭先で筵の上で切腹させる、介錯に使おうと田村家伝来の由緒ある刀を家臣が持ち出してきたので藩主が激怒した、切腹した場所には今後誰も近づかないよう藩士に厳命したなど、非常に対応が悪かった記録が残るが、それでも田村家の菩提寺である祥雲寺の裏山には浅野長矩の供養塔がある(戦後になって江戸の藩邸跡に建てられた切腹した場所を示す記念碑は撤去されている )。 なお田村家自体は、勅使饗応役を立派に勤め上げている。 中屋敷:愛宕ノ下田村小路(現在の西新橋二丁目) 下屋敷:青山百人町(現在の北青山三丁目) また、伊達宗勝の菩提寺は願成寺である。
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