藩邸及び江戸における菩提寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/20 14:34 UTC 版)
「仙台藩」の記事における「藩邸及び江戸における菩提寺」の解説
江戸藩邸は、文政年間には芝口三町目海手に上屋敷、芝愛宕下に中屋敷、麻布や深川、猿町、品川、木挽町の5箇所に下屋敷があった。また京都藩邸は長者町と小川東へ入る町の2箇所にあった。江戸の上屋敷の敷地は、後に新橋停車場建設に利用され、現在は日本テレビタワーが建っている。下屋敷があった麻布や品川には仙台坂の地名が残されている。上屋敷は政宗の時代には日比谷御門外にあり、現在、日比谷公園の一部。左に上杉家(米沢藩)、毛利家(長州藩)の上屋敷と三大名が並ぶ。『江戸図屏風』では毛利家と比べ規模はほぼ同じだが、伊達・上杉両家は装飾に金が多用され、御成御殿や御成門があり豪華に描かれている。 江戸で藩主一族や家臣が死去した場合に使う菩提寺は芝の臨済宗妙心寺派寺院である仏日山東禅寺で、一門の宇和島藩、伊予吉田藩、一ノ関藩も江戸での菩提寺としていた。
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