藤田 湘子とは? わかりやすく解説

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藤田湘子

藤田湘子の俳句

あかつきに雪降りし山神還る
あさまらのめでたき春となりにけり
あちこちにふえし才女や葱坊主
あてどなく急げる蝶に似たらずや
あめんぼと雨とあめんぼと雨と
あるときはふるさと燃ゆる春の夢
いはれなくけふ頸燃えて五月逝く
うすらひは深山へかへる花の如
うつうつと夜汽車にありぬ啄木忌
かりがねや生死はいつも湯が滾り
くらくらと日の燃え落ちし春の雁
けむり吐くような口なり桜鯛
さすらひまだ終らぬ雲とまくなぎと
たかむらに竹のさまよふ秋のくれ
はからずも夕焼濃しや軒菖蒲
ひぐらしの方へ行かうといつも思ふ
ひとのため末黒野を行き落膽す
めんどりの尻蹴つてああ夏の果
もう我のこころをはなれふきのたう
もの音は一個にひとつ秋はじめ
ゆくゆくはわが名も消えて春の雪
ゆふぞらの白鷺のみち魂迎
わが声の五十となりぬ凧
わが屋根をゆく恋猫は恋死ねよ
わが裸草木蟲魚幽くあり
七五三水の桑名の橋わたる
七月や雨脚を見て門司にあり
三日月に狐出て見よオホーツク
下仁田の葱を庖丁始めかな
両眼の開いて終わりし晝寝かな
亡き師ともたたかふこころ寒の入
余り苗紀貫之に捨ててあり
元日や風とほりゆく草の形
六月やはだけし胸のおのれの香
冬に入る馬の尾さばき音もなし
冬の街戛々とゆき恋もなし
冬帽や夜更け見えたる一飛沫
冬晴やお陰様にて無位無官
労働祭汽缶車日浴びつつ憩ふ
卯月波父の老いざま見ておくぞ
去りゆきし春を種火のごと思ふ
口で紐解けば日暮や西行忌
口笛ひゆうとゴツホ死にたるは夏か
口論の真ん中にあり蠅叩
君もまた長子の愁ひ蚯蚓鳴く
団栗にうたれし孤独地獄かな
土の音松にのぼりぬ春の暮
坂東の血が酢海鼠を嫌ふなり
夕星のいきづきすでに冬ならず
夕月や雪あかりして雑木山
 

藤田湘子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 03:40 UTC 版)

藤田 湘子(ふじた しょうし、1926年1月11日 - 2005年4月15日)は、日本の俳人水原秋桜子に師事。俳誌「」を創刊・主宰。本名・良久。神奈川県出身。

経歴

父源太郎、母ミネの長男として、神奈川県小田原町(現 小田原市)に生まれる[1]。1942年、中学在学中に「馬酔木」に入会し、水原秋桜子に師事[1]石田波郷に兄事[1]1945年、工学院工専(現工学院大学)を中退、東部第八七部隊を経て鉄道省に勤務。1947年、「馬酔木」4月号で巻頭。1948年、馬酔木賞を受賞、翌年より「馬酔木」同人。1951年、「馬酔木」第1回新樹賞受賞。1955年、第4回新樹賞受賞。同年「馬酔木」編集次長就任。1957年、「馬酔木」編集長就任、第4回馬酔木賞受賞。1958年、国鉄本社広報課勤務、以後22年間在職。

1964年、秋桜子の了承を得て、「馬酔木」の衛星誌として同人誌「」を創刊。1967年、「馬酔木」編集長辞任。1968年、「馬酔木」からその活動が認められなくなったことで、他の「鷹」発起同人が「鷹」を去る。湘子は「馬酔木」同人を辞退し、「鷹」を自身の主宰誌とする。1981年から1983年まで現代俳句協会副会長。1985年、蛇笏賞選考委員。1986年、俳句研究賞選考委員。2000年、句集『神楽』で第15回詩歌文学館賞受賞。2005年4月15日、胃癌により横浜市青葉区の自宅にて死去。79歳。

作品

以下の代表句がある。

  • 愛されずして沖遠く泳ぐなり
  • 筍や雨粒ひとつふたつ百
  • 揚羽より速し吉野の女学生
  • うすらひは深山へかへる花の如
  • 湯豆腐や死後に褒められようと思ふ
  • 天山の夕空も見ず鷹老いぬ
  • あめんぼと雨とあめんぼと雨と

初期に秋桜子風の叙情句に傾倒、戦後に石田波郷らが「馬酔木」に戻ると、その境涯俳句に心酔し影響を受けた。また国鉄労組員として砂川基地拡張反対運動にも参加、一時社会性俳句にも影響を受ける。1983年3月には、新境地を開くため高浜虚子を念頭に「一日十句」という多作の試みを開始し、その句作を「鷹」に発表するという異例の試みを3年にわたって実行した[1]中原道夫は「多作によって素材の幅が広がり、湘子俳句の底辺に流れる叙情性に加え、俳句本来の挨拶性、即興性、諧謔性を獲得することになった」(『現代俳句大事典』)と評している。

門下に飯島晴子[1]、酒井鱒吉、永島靖子、小澤實奥坂まや小川軽舟高柳克弘など。また、遠山陽子、長峰竹芳、宮坂静生辻桃子松田ひろむなども一時期、湘子の薫陶を受けている。

結社運営においては年功序列を廃し、個性重視・実力主義の方針を貫いた。1996年には結社のマンネリ化を打破するため第二次「鷹」を発足し、二物衝撃を基本理念とし俳句の散文化に対抗した[1]。また一般向けの実作指導書もいくつか執筆しており、1988年に最初の版が出された『20週俳句入門』は俳句入門書の定番としてロングセラーとなっている[1]

著書

句集

  • 『途上』近藤書店、1955
  • 『雲の領域』金星堂、1962
  • 『白面』牧羊社、1969
  • 『狩人』永田書房、1976、邑書林句集文庫、1997
  • 『春祭』立風書房、1982 
  • 『一個』角川書店 1984 現代俳句叢書
  • 『去来の花』角川書店 1986
  • 『黒』角川書店 1987
  • 『前夜』角川書店 1993
  • 『神楽』朝日新聞社 1999
  • 『てんてん』角川書店、2006
  • 『藤田湘子全句集』鷹俳句会編 角川書店 2009  

作品選集など

  • 『朴下集』現代俳句協会 1982 現代俳句の一〇〇冊
  • 『藤田湘子(花神コレクション)』花神社 1993
  • 『藤田湘子 自選三百句』春陽堂書店 1993 俳句文庫
  • 『信濃山河抄』ふらんす堂文庫 1999 旅シリーズ

評論

  • 『俳句全景』永田書房 1974
  • 水原秋桜子』桜楓社 1980(新訂俳句シリーズ・人と作品)
  • 『俳句以前』永田書房、1982
  • 『実作俳句入門』立風書房、1985、角川ソフィア文庫、2022
  • 『20週俳句入門 第一作のつくり方から』立風書房 1988、角川ソフィア文庫、2022
  • 『俳句作法入門』角川選書、1993
  • 『俳句の方法 現代俳人の青春』角川選書、1994
  • 『秋櫻子の秀句』小沢書店、1997
  • 『俳句好日』角川書店、1997
  • 『男の俳句、女の俳句』角川書店、1999
  • 『新20週俳句入門 第一作のつくり方から』立風書房 2000
  • 『新実作俳句入門 作句のポイント』立風書房 2000
  • 『俳句の入口 作句の基本と楽しみ方』日本放送出版協会 2001 NHK俳壇の本
  • 『句帖の余白』角川書店、2002
  • 『入門俳句の表現』角川選書、2002

共編著

  • 馬酔木巻頭句集 年代別』石田波郷共編 近藤書店 1957
  • 『森を吹く風 青の会俳句集』編 近藤書店 1957
  • 『水原秋桜子』石田波郷共著 南雲堂桜楓社 1963  
  • 『俳句への出発』編 角川書店 1996 俳句実作入門講座

顕彰

  • 藤田湘子碑[2] - 小田原文学館敷地内に2005年に建立された[3]。「愛されずして沖遠く泳ぐなり」の句が刻まれている[3]

参考文献

  • 齋藤慎爾、坪内稔典、夏石番矢、榎本一郎編 『現代俳句ハンドブック』 雄山閣、1995年
  • 中原道夫「藤田湘子」『現代俳句大事典』 三省堂、2005年
  • 小澤實 「わが師、わが結社」 『藤田湘子』 春陽堂(俳句文庫)、2003年

出典

  1. ^ a b c d e f g 前主宰・藤田湘子について”. 鷹俳句会 (2018年12月9日). 2022年3月9日閲覧。
  2. ^ 小田原文学館”. 小田原市. 2024年1月6日閲覧。
  3. ^ a b 小田原文学館 パンフレット” (PDF). 2024年1月8日閲覧。

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