著者の推定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/08/03 17:23 UTC 版)
歴史的観点から言えば、ベルールの生涯についてはほとんどなにもわかっていない。この著者は作中で2度、第1268行と第1790行でみずからの名前を名乗っている。しかしながら、この « Berox » がわれわれの有している写本の版の著者であるのか、それともその著者が拠った原資料のものなのかを知ることはできない。この作品の著者はノルマン人であったが、イングランドにもとてもよく通じており、そこで過ごした可能性があること、またおそらくはプランタジネット朝のヘンリー2世の宮廷のために著作した可能性があることを、本文と言語学的な手がかりから主張しうる。ただし中世史家 André de Mandach は、このベルールであった可能性がある、サン゠テヴルー (St-Evroult) 修道院のベネディクト会士ベロルドゥス (Beroldus) なる人物を発見している(ただし証明はまったく不可能である)。本文の書かれた年代を決定することは難しいが、1160年から1190年のあいだに位置づけられ、もっとも正確には1170年ころであろうと思われる。 一方で、中世史家たちはこの写本によって伝わっている本文が単独の著者によって書かれたものか、それとも2人の著者によるものか(この場合 « Béroul » は、この作品の第2751行までの前半分だけの著者になる)を判別するため議論している。この議論が将来に解決する見通しはほとんどない:著者の二重性という仮説を支持する証拠は十分に多いのだが、この作品には構成の一定の統一の痕跡が見られるだけに、確固たる証明には不十分である。著者の二重性の仮説によれば、著作年代のさらなる正確化が可能であり、前半部は1165年から1170年、後半部は1190年という。
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