著名な鮮卑人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:50 UTC 版)
高句麗の将軍である乙支文徳は、高句麗に帰化していた鮮卑の出自とする学説がある。 中国の英雄的女性木蘭は、鮮卑だったというのが学界の主流の見解である。木蘭は、唐代以降、漢人の社会概念を加味した口承物語として漢人に伝えられたが、その後の作品の改編で木蘭の遊牧民の出自が消去され、明代には徐渭の『雌木蘭』に、北魏や胡族がおこなっていなかった纏足というストーリー加味された。2020年、考古学者のChristine LeeとYahaira Gonzalezは、モンゴルから出土した女性の遺骨の関節炎、骨格の外傷、筋肉の付着の痕跡などからから判断して、生前に「弓を射る武術に長けていた」可能性のある鮮卑の女性であることを特定し、匈奴や突厥よりも鮮卑の女性の方が騎乗していたことを発見し、鮮卑の平民女性は騎兵として常時戦争に赴いていたのではないかと推測している。
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