荊江
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 14:08 UTC 版)
宜昌から江西省九江市までの長江中流は、古代の荊州(湖北省一帯)を流れることから俗に「荊江」と呼ばれる。荊江は長江中下流の平原地帯を流れるために、川江よりもさらに緩やかな流れになる。古来より要衝として栄えた江陵市を過ぎ、岳陽市で長江本流は洞庭湖に接する。もっとも、江陵付近から岳陽までの間では直接の接点以外にも4本の支流が長江本流から洞庭湖へと流れ込んでおり、洞庭湖に供給される水量の半分は長江から流れ込むものである。このため、洞庭湖は長江の遊水地的役割を果たしており、増水期には通常時よりかなり面積が増大する。一方で、長江上流から流れ込む膨大な土砂と干拓は洞庭湖の面積を縮小させ続けており、現在では通常時は東・南・西の3つの湖に分かれてしまううえ、増水時の面積でも半分以下にまで減少し、鄱陽湖に抜かれてしまった。岳陽市の、長江と洞庭湖が接する地点に建てられた岳陽楼は雄大な景観で知られ、瀟湘八景のひとつにも数えられ、また杜甫や孟浩然、范仲淹などの名だたる詩人がここで多くの詩文を生み出した。 岳陽で長江本流は北東に転じ、その下流には赤壁があり、ここで208年に曹操軍と孫権・劉備連合軍の間で赤壁の戦いが起こった。そこから下流に行くと、長江は西から流れてきた漢水と合流する。この合流地点は水陸交通の交わる要衝であり、長江と漢水によって分けられた北の漢口・西の漢陽・南の武昌の3都市が発達していた。武漢三鎮と呼ばれたこの3都市は1926年に合併して武漢市となり、長江中流域最大の都市となっている。武漢で長江は南東へと転じ、江西省の九江市で再び北東へと転ずる。この九江市は鄱陽湖と長江本流との接点にある都市である。鄱陽湖は洞庭湖と同じく長江の遊水池的役割を持っているが、近年では洞庭湖と同じく面積縮小が起こっている。
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